ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

すね。モード』(1920年創刊の老舗ファッション──上のお姉さまとは、だいぶ年が離れていまフランスから取り寄せていた、『ジャルダン・デ・歳違って、その下にら2番目で、姉たちとは1歳半違16歳い、の妹12歳が、いま10歳す、。5ンの本などもたくさんありましたよ。姉たちが父の仕事の関係で、家には海外のファッショ父と母と、私たち姉妹が7人です。私は下かことが少し意外に思えます。──ご家族は。──戦争前に、そうした華やかな文化があったす。れて行ってもらうのが、楽しみでした。●岡村さんの疎開先(千代田区富士見町から神奈川県箱根町強羅へ)約80㎞箱根町強羅が飯田橋へ家を建てて一家で引っ越したのでさい頃には姉たちと一緒に音楽会や美術館に連富士見町です。私もそこで生まれましたが、すぐ後に父楽などのお稽けい古こごとをさせてもらっていて。小して貸して、5階を家族の住まいにしていたのりませんでしたので、ピアノやバイオリン、声1階と2階を仕事場に、3階・4階を事務所と上の姉たちが育った頃はまだ戦争も激しくあいた父が、5階建ての防火建築のビルを建て、ます。原になったでしょう。それで神田で商売をしてい」と母に言ったという話を聞いたことがあり神田です。関東大震災で東京は一面、焼け野う少し、娘らしい派手な着物を着せてあげなさ──岡村さんのお生まれは、どちらですか。がおっしゃって(笑)。それを知った父が、「もときに、「今日はお母さまがお迎えね」と先生フランスからファッション誌を取り寄せてええ、ですから私の幼稚園へ姉が迎えに来たださいました。た印象的な光景など、当時の日記を開きながらお話しくおかむらせつこ岡村節子四番町ていインタビュアーん(ま84し歳た)は。、疎終そ開戦かい先のの5日強ごう前羅らまででの毎生日活の、生終活戦をの日日記にに目つ撃づしっ安田律子(大学院2年生)千野彩佳(高校3年生)西山侑里(高校2年生)西欧のミッション系の女学校に通っていた岡村節子さ終戦の日、「祖国へ帰れる!」と叫びながらスキップをしていた、異国の少女たち未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集60