ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

(近衛歩兵第1・第2連隊)があったのですが、その方たちが寝泊まりする場所が足りなかったのですね。今のようにホテルや旅館もありませんから。それでわが家もその場所を提供することになり、2階の客間を夜だけ、5~6人の軍人さんがお使いになっていました。毎朝、出かける前に「一つ、軍人は…」と軍ぐんじん人勅ちょく諭ゆ(聖せいくん訓五ごか箇条じょう)を大きな声で唱しょう和わしていたのを覚えています。その方たちが出しゅっせい征なさるときは、私たち姉妹で千人針や慰い問もん袋を作ってお渡ししたものです。──教科書では読んだことがありますが、どういったものなのですか。千人針は、手ぬぐい巾に赤い糸で、1000人の方に1つずつ糸目を結んでもらうのです。すぐ上の姉が寅とら年なのだけど、寅年の女性だけは年齢の数だけ結べるのね(寅は「一日千里を往いって、千里を還かえる」という故事から、生きて帰るようにとの御守り)。「お姉さまはいいわね、15個も結べて」ってうらやましがったものです(笑)。慰問袋は父の店から生地をもらって、姉たちと一緒に縫ぬいました。学校で作ったりもしましたね。──食べる物に、ご苦労はなかったですか。野菜やお米も配給になって。そのお米も、だんだん手に入らないようになりました。古米(前年に収穫された米)の古米の、古古米にもなってきて。そういう古いお米には、コクゾウムシという虫が湧わいているの。でも気持ち悪いなんて言っていられませんから、虫だけ他へ除のけていただきました。──その他の物資も、どんどん手に入りにくくなっていきましたか。私たちは木綿の靴下を履はいていたのだけれど、穴が開いても捨てたら次の靴下が手に入りません。どうするかというと、電球に靴下をかぶせて、糸と針でつくろうのね。それを見ていた父が、「今日の1針、明日の10針」という言葉を教えてくれました。ほころびたら、すぐにつくろいなさい。放っておくと、10針も縫うことになりますよって。私は卒業後、『伊東茂平衣服研究所』で2年半パターンとデザインの勉強をし、父の会社(子供服のピノチオ岡村)に、デザインの仕事のため入社しました。そのときの父の言葉を思い出して「トラブルがあったら、その日に解決しましょう。明日の10針にならないうちに」ってずっと心がけていました。思い立ったらすぐ実行。その教えは、本当に役に立ちました。──空襲の体験を、聞かせていただけますか。まず印象に残っているのは、灯とう火か管かんせい制ですね。夜に建物から明かりが漏れると、そこをめがけ日本武道館南に建てられている近衛歩兵第1連隊の碑と第2連隊の碑B29に体当たりして墜落した日本軍の飛行機慰問袋薬品、たばこ、石けんなどの日用品や武運長久のお守り、慰問文を入れて戦地の将兵に贈られた布袋。袋は、各家庭で作ったが市販品もあり、中身の入った既製品も売られていた。62未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集