ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

て爆弾を落とされるというので、電灯の笠に黒い布をかけて光が漏もれないようにしたのですよ。たしか上をスカートのようなギャザーにして、すっぽりかぶせたんだと思いますよ。爆風でガラスが割れても飛び散らないように、窓には細く切った紙を十字に貼りました。──初めて空襲に遭われたのは。富士見町は、3月10日の空襲でずいぶんと多くのお家が焼けました。幸い私たちの家は無事でしたが、坂の上にあるお友達の家が燃えているというので、駆かけつけていってバケツリレーに加わりました。当時はお家の前にコンクリートの防火用水があって、そこから水を汲くんで火にかけるんです。でもそんなものじゃ間に合いませんね。結局、その方のお家は焼けてしまいました。──その時は、どのようにお感じでしたか。恐怖ですよね。ただただ、恐ろしかった。それまで空襲のときは建物の中にいましたから、初めて頭上をB29が通り過ぎるのを体験したのです。──どんな印象ですか。大きい!見たことのないくらい大きな飛行機がわーっと飛んできて。ショックでした。「これじゃあ負けるわ」って、ふと思った記憶があります。そんなこと口にしたら、大ごとでしたでしょうけれど。──岡村さんご家族に、被害はなかったのですね。ただ神田のビルに、焼けた電信柱が倒れてきて、部屋が燃えたという知らせはありました。幸いすぐに消し止められたそうですが、そのとき母が、家にあったなけなしのお米を炊いておにぎりにして「火を消してくださった皆さんにさしあげてちょうだい」と、同居していた父の甥おいに届けさせていました。──その後も、空襲は続きましたね。4月には、麹町から九段のあたりも爆撃に遭って。白百合の校舎もその時に焼けてしまいました。──その後も、富士見町にいらしたのですか。とうとう危ないというので、姉夫婦の住んでいた中野に移ることにしました。千代田区のような中心部よりは、まだ安全ではないかと考えたのでしょう。でも中野にも、やはり空襲はありました。ある日のお昼間、上空にB29が飛んできました。そこへ日本軍の飛行機が体当たりしたのも見えたのだけれど、B29の大きさに対して、日本の飛行機はとてもとても小さくて。壊れた機体からぱらぱらぱらと、兵隊さんがパラシュート──敵てきせい性語ごだから、当時は落らっ下か傘さんと呼ばなければいけませんでしたね──で、降りてくるのも見えました。B29は、何ともないように平気で飛び去っていきました。その光景も、ショックでした。何とも言えなかったですよ。当時は高射砲というのもあって、敵機に向防火用水空襲による火災に対する備えとして各地域・家庭に貯水槽や浴槽に、常時水を蓄えておくことが要求された。防火用水は、戦時中いたるところに置かれていた。今でも道端で植木鉢などに使われていることもある。63未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記疎開