ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ページ
68/214

このページは 未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集 の電子ブックに掲載されている68ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

かって地上から攻撃をするのだけど。B29は遥はるか上空にいるのに、打ち上げた砲弾は途中でふわーんって落ちてきてしまって。これじゃ当たらないなあって、そんなふうに思っていました。強羅で迎えた終戦の日──疎開は、なさらなかったのでしょうか。私たちの学校は、昭和19(1944)年に箱根強羅へ土地を購入して修しゅう道どういん院と教室、生徒たちの寄宿舎を開きました。この施設に、まず初等科の生徒から疎開をさせたのです。私の家でも、翌年に妹が先に強羅へ向かいました。私は高女2年(中学2年生)の6月に強羅へ行って、下級生の面倒を見ながら、修しゅう練れんとして畑でお芋を作ったり、合間にお勉強もしていました。──これが、その時の日記ですか?ええ、少し読んでみましょうか。「朝洗面をしていたときに、警報が出ました。あまり早く出たので、きっと空襲になると思っておりました。朝食のときに案の定、ぽーぽーと空襲のサイレンが鳴りました。帝都の空襲が案じられました。お食後に、先生と一緒に畳掃除をしました。お部屋にはござ(いぐさの茎くきで編んだ敷物)が敷いてあって、みんなで片方だけござを上げて掃きました。その中には蚤のみがたくさんいて、気持ち悪くなりそうでした。お昼のお食後には雨疎開先で岡村さんが書きつづっていた鍛練日記64未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集