ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ページ
69/214

このページは 未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集 の電子ブックに掲載されている69ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

──その時の、お気持ちは。その少し前から、一緒に疎開をしていたお友達と「こんなこと、いつまでしているのかしら」「私たちはいつ東京へ帰れるのかしら」と話していました。ですからもう空襲はない、逃げなくていいのだとは思いました。でも──気持ちは複雑でしたね。──終戦の日で、他に覚えていらっしゃることは。ラジオを聴いた場所から、別棟の宿舎に戻ろうとしたときのことです。突然に、「祖国へ帰れる、万歳、万歳!」という喜びの声と一緒に、スキップを踏んで踊り跳はねる、異国の少女たちが目に映ったのです。──外国人がいたのですか?私たちもそれまで全く知らなかったのですが、交こう換かんせん船の「浅あさ間ま丸まる」でアメリカから日本まで来たものの、ヨーロッパまで帰ることができず、そのまま強羅のキャンプへ足止めされていた方々がいたようなのです。そうして不自由な抑よく留りゅう生活を続けていたフランスやイタリアの少女たちが、戦争が終わったと知らされたのでしょうね。その子たちはスキップをして、私たちはそれを複雑な思いで見ていました。終戦の日というと、今も思い出す光景です。──敵国の人たちですよね。反感はなかったのでしょうか。いいえ!私たちの学校はフランス人のマが降り出しましたので、ござを入れるのが大変でした。漢文の半分を写して、あとは国文の訳を習いました。明日は学校があるので、1日中そわそわしてしまいました。すぐに夕食になりましたので、すんでから皆さんで、お手玉をいたしました」──最後の「お手玉」というところだけ、女学生らしい生活が感じられます。お手玉や、トランプをしました。トランプも英国のものだから禁じられていたかもしれないけれど、持って来たお友達がいたんですね。私は本を読むのが好きだったから、『宮本武蔵』(吉川英治著)を全巻持っていって読んでおりました。同じページに、8月10日の日記もあります。「8月9日よりソビエト連邦が日本と戦争状態に入る旨、宣言したとのこと。今朝、校長先生からお話があり、本当に本当に、わたくしたちがしっかりしなければと思いました。晴れ、ときどき雨」これが、日記の最後です。──それでは終戦は、強羅の疎開先で迎えられたのですね。ええ。先生方と一緒に正座をして、ラジオを聴ききました。でもガーガーと騒音ばかりで、ほとんど内容は分かりませんでした。先生が「戦争は終わりました」と静かな声でおっしゃって、それでやっと放送の意味が分かったのです。幼少期から使っているテーブルとチェア高射砲陣地本土空襲の敵機を撃退するための中小口径の砲を備えた拠点。東京周辺や軍需工場地帯の周りに重点的に配備されたが、射程距離が不十分で、高度1万メートル以上を飛ぶ米軍機に対しては予期したほどの戦果は上げられなかった。65未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記疎開