ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

伝えたいメッセージはありますでしょうか。戦争は「無」です。人を殺し合って、いいことなど何もありません。あなた方にも、この先の未来に生まれる方々にも、日々の平和と幸せに感謝をして生きていってほしい。そして何か1つ目的を持って、自分の生きる道を進んでいってほしいと思います。その目的を達成して、「私は自分のしたいことをしたわ、幸せだったわ」と思えるような人生をね。私がまさに、今そう思っているのです。戦後に一生懸命勉強して、外国でも学んで、日本の子供さんたちのために洋服を作り続けてきました。もちろん悲しいこと、苦しい思い出もいっぱい胸の中にあるけれど、それは全部捨てて。皆さんに喜んでもらえた、そのことだけを大事にしています。──もし戦争がなかったら、ご自分の人生は変わっていたと思いますか。ある意味で両親の会社でデザインの仕事をしてきたので、その点では変わりはなかったと思います。ただ、物を大切にする心は育はぐくまれたかもしれません。私は今も、着られなくなった洋服はハサミで小さく切って、そのへんを拭ふいたりしてから捨てるんです。その時も、心の中で感謝の言葉を唱えるのね。「ありがとう」とか「メルシー」とか(笑)。もし戦争中に靴下をつくろうような苦労をしなかったら、どんなわがままに育っていたかと、今になって思います。す。ところが戦争末期で物資も不足して、栄養失調で亡くなってしまったのね。やっと歩きだしたって、みんなで喜んでいたところだったのに。それが、義兄が帰るわずか10日前でした。──お義兄さんは、会えなかったのですね。ええ。母は「ベビーは、親の代わりに亡くなったのでしょう」と言っていました。──他のご家族は。2番目の義兄は台湾で「台湾電力」の仕事をしていて、4番目の義兄は満鉄にいました。それぞれ、家族と一緒に終戦後に引き揚げ船で戻ってきましたが、着の身着のまま、たいへん苦労したと聞いています。それでも、無事に戻ってこられただけ良かったと思いますよ。──学校は、すぐに再開されたのですか。ええ、でも空襲後に初めて学校へ足を踏み入れたときは、あまりの変わりように驚きました。崩れ落ちた屋舎のコンクリートや補強の木材を見ながら、涙が止まらなかったのを覚えています。再開後の教室は、黒板の横や壁に焼しょう夷い弾だんで焼けた跡が残っていました。机はニスも塗っていない、薄く反そり返った板。椅いす子はベンチのような3、4人がけのものでした。それでも私たちは、空襲中に停電したときに常備していたロウソクをみんなで持ち寄って、机や廊下を磨みがいたものです。少しでも校舎がきれいになるようにと思って。──そうした体験を通じて、私たち若い世代に写真左から、安田さん、西山さん、岡村さん、千野さん67未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記疎開