ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ことで、東郷小学校になったようです。私が入戦艦、巡じゅん洋よ艦、うかん駆く逐ちく艦かんなどと優劣を付け、お互さん(東郷平八郎)のお屋敷の隣にあるというやりました。はっきりとは覚えていませんが、もとは、上六小学校という名称でしたが、東郷お昼休みには「軍艦ごっこ」というのをよく東郷小学校(現在の九段小学校)です。もと──当時はどのような遊びをしていたのですか。──小学校はどちらですか。覚えています。町に暮らしています。いちばん小さい小学校になった」と言ったのを●杉田さんの疎開先(千代田区四番町から埼玉県嵐山町へ)疎開で6年間離れましたが、あとはずっと四番なって、先生が「これで東郷小学校が麹町区で嵐山町高校3年生までそのまま埼玉で過ごしました。四番町年生のときだったか、日比谷小学校が廃校に戦は中学1年生のときに迎えました。終戦後は、その次に小さいのが東郷小学校でした。小学4年生の2学期に埼玉私が長男です。昭和県嵐19(山1町9に4縁4故)疎年開、し小、学終6日比谷小学校があり、そこがいちばん小さくて、約60㎞の麹町区には、今の東京地方裁判所のところにちました。男2人、女3人の5人きょうだいで、昭和7(1932)年、四番町で生まれ、育女ク別ラ学スなの50人でで、す男か組らと、女全組校が生あ徒りはま600した。人当。時男ただけますか。東郷小学校は1学年2クラスです。定員は1──まず、杉田さんご自身についてお聞かせい──当時の東郷小学校の様子を教えてください。国民学校に変わりました。「軍艦ごっこ」で遊んだ小学校時代学したときには尋じん常じょう小学校でしたが、途中でついてうかがいました。四番町の当時の様子や終戦後の状況、疎開先での生活にまで6年間を過ごしました。陸軍が闊かっ歩ぽしていたというすぎたそういち杉田宗一四番町6年生のときに埼いる杉田宗一さん(玉県83歳嵐ら)ん山。ざん東町まち郷に小縁えん学故こ校疎(そ現在の開かいし、高校3年生九段小学校)損害保険業を辞した後、四番町町会長を8年間務めて父親の田舎に疎開し、そこで暮らした6年間インタビュアー安田律子(大学院2年生)長嶋泰(大学1年生)松崎璃々花(中学1年生)未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集68