ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

人たちにメッセージをいただけますか。戦争とは極きょく端たんに言うと殺し合いです。やっぱり人間は、人を不幸にするような行動だけはとってはいけません。戦争は、まさに不幸を生み出すものです。いじめだってそうです。相手の立場になればいじめられた子は不幸ですよね。そういうことが起こらないようにするために、人間は思いやりの気持ちを持たなくてはいけないと思います。そしてやはり、過去のことをしっかりと勉強していってほしいと思います。止まらずに、こっちから向こうへ移ったのだそうです。終戦の翌年、昭和21(1946)年の夏、焼け野原になっていた岩本町に1800円でバラックを建てました。当時の1800円は国立大学卒の会社員の1年分の給料くらいです。早稲田大学卒だと2万5000円です。昔は、国立と私立でこんなに違いました。出しゅっせい征していた店員たちも復員してきたので、父親が商売を再開し、今に至ります。──終戦後に人々が努力したからこそ今の世の中があると思いますが、復興に対する思いをお聞かせください。終戦後、日本がこれだけ復興したのは、戦争前までの生活に戻ろうという気持ちが強かったからです。やっぱり、昭和12?13年頃の生活はよかったんですね。それから戦争に負けて何もなくなったでしょう。だから、そこまでは達しようとみんなすごく努力しました。それだけ意欲を持っていました。それから日本の場合は、なぜアメリカに負けたのかをみんながよく勉強しました。特に品質管理についてはそうですね。アメリカの品質管理というのは大量生産が基準です。アメリカの爆弾も不発弾がすごく多かったです。日本はそうではありません。不良品を出さないような品質管理を進めました。その努力が、復興への要因のひとつでもあったと思います。──戦争を経験された鈴木さんから、今の若い写真左から、泉さん、鈴木さん、横山さん80未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集