ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

子にしたものをふかして食べていました。鶏にわとりの餌えさみたいにボソボソしていて、まったくおいしくなかったです。いつもお腹を空すかせていて、ミカンの皮なんかも食べました。友達と顔を合わせれば「腹減った、腹減った」です。6年生というと小生意気な年頃でしょう。「〝人生に悔いなし〟という言葉があるけれど、おれたちはそうじゃないな。〝人生に食い物なし〟だな」と言って、先生に怒られたこともあります。6年生でもみんな夜になると「東京へ帰りたい」と言って泣いていました。私もそうでしたけれど、みんな「お母さん、お母さん」と泣くんです。「中央線を歩いて東京へ帰れるかもしれない。脱走しよう」という話も出ました。ところが、途中に三つ峠という山があって、それを越えなければ大月には抜けられない。小学生の足ではとても無理で諦あきらめました。でも、よその学校では脱走した例もあるらしいです。男の子は毎朝、裸で乾かん布ぷ摩ま擦さつ。女の子は食事の配膳をしたり、河口湖で洗濯をしたりしていました。男は丸坊主だからいいのですが、女性は髪の毛を伸ばしているでしょう。みんなシラミで大変でした。リュックサックを背負って山に入り、薪まきを取ってきて燃やしてお湯を沸かし、そのお湯で頭を洗ってシラミを落としていましたね。友達とは戦争の話もあまりしなかったし、とにかく食べ物の話とどうやって線路を歩いて帰るか、そんな話ばかりしていました。食べ物がないというのは本当に辛くて、なにしろ東京へ帰りたかった。たった半年の疎開生活でそうでした。──疎開先では授業はどうしていたのですか。地元の河口小学校へ通いましたが、1週間に2回くらいしか行かなかったですね。河口小学疎開先で乾布摩擦をする男子生徒たち(永田町国民学校)乾布摩擦手ぬぐい1本で手軽にできる皮膚強化法として広く奨励された。国民学校では校庭で全員が上半身裸になり、先生の号令でゴシゴシ。集団疎開先でも風邪予防の目的で乾布摩擦を励行した。88未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集