トップページ > 文化・スポーツ > 文化 > 千代田区町名由来板 > 町名由来板:町名から探す > 町名由来板:小川町三丁目(西部)(おがわまちさんちょうめ(せいぶ))

更新日:2014年11月11日

ここから本文です。

町名由来板:小川町三丁目(西部)(おがわまちさんちょうめ(せいぶ))

地図

  • 設置年月日:平成16年8月30日
  • 所在地:神田小川町三丁目10番地

町名由来板

江戸時代、小川町(おがわまち)は神田の西半分を占める広大な地域をさす俗称でした。
古くは、鷹狩(たかがり)に使う鷹の飼育を行う鷹匠(たかじょう)が住んでいたことから、元鷹匠町(もとたかじょうまち)と呼ばれていましたが、元禄(げんろく)六年(1693年)に小川町と改称されました。五代将軍綱吉(つなよし)が「生類憐(しょうるいあわれ)みの令」を施行、鷹狩を禁止したため改称されたという話も伝わっています。
小川町の名前の由来は、このあたりに清らかな小川が流れていたからとも、「小川の清水」と呼ばれる池があったからともいわれています。江戸城を築いた室町時代の武将太田道灌(おおたどうかん)はその風景を「むさし野の小川の清水たえずして岸の根芹(ねぜり)をあらひこそすれ」と詠んで(よんで)います。

安政(あんせい)三年(1856年)の絵図では、この界隈(かいわい)に寄合医師(よりあいいし)和田春孝、常陸土浦(ひたちつちうら)藩土屋家の上屋敷(かみやしき)などが見られます。
明治五年(1872年)、周辺の武家地を整理し、富士見坂を境に北側は猿楽町一丁目(さるがくちょういっちょうめ)、南側は小川町となり、明治十一年(1878年)、神田区に所属します。ちなみに富士見坂の名は、坂の上から富士山が見えたことに由来します。
明治時代の猿楽町一丁目には、英語、漢学、数学などを教える研精義塾(けんせいぎじゅく)、裁縫(さいほう)を教える裁縫正鵠(せいこく)女学校や婚姻媒介(ばいかい)所などがありました。小川町には、西洋料理店やビリヤード場、小川町警察署などがあり、学生たちで賑(にぎ)わう街でした。また、町内に過ごした昭和期の小説家永井龍男(ながいたつお)は、文藝春秋社で雑誌編集長を務めたのち、後年には文化勲章を受章しています。
昭和八年(1933年)の区画整理により、ここは小川町三丁目(おがわまちさんちょうめ)となります。昭和二十二年(1947年)に神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区が成立すると、町名も神田小川町三丁目となりました。

お問い合わせ

地域振興部コミュニティ総務課コミュニティ係

〒102-8688 東京都千代田区九段南1-2-1

電話番号:03-5211-4180

ファクス:03-3264-7989

メールアドレス:komisoumu@city.chiyoda.lg.jp

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?