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更新日:2014年11月7日

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住居表示と町名の情報 神田と麹町

神田

神田明神、神田ばやし、神田っ子と、神田といえば江戸のシンボルです。江戸っ子の飲料水を井之頭から運んできたのも神田上水です。
地名として神田が登場する古いものでは、400年以上前の小田原北条氏文書の「神田内新堀方」「神田之坂之上」「神田之台」などがあり、今の大手町のあたりまで神田だったようです。
この付近に平将門の子孫神田氏が住んでいたといわれ、鎌倉時代の「我妻鏡」に神田三郎という名で江戸入道とともに出てきます。
本来、神田とは、神宮へ供進する稲をつくる田という意味で、みた(御田、三田)、みたしろ、みとしろ(神田美土代町)なども同義語とされます。
徳川幕府になって、神田台(今の駿河台)の一部を崩し、沼沢地だった小川町一帯を埋め宅地としました。
明治11年に神田区が誕生し、昭和22年に麹町区と合併して千代田区となりました。今も旧神田区だった町名に神田が冠されているところが多いのも、神田の名に愛着があるからといえます。

麹町

「商の道かせぐらん麹町」と古い俳諧に読まれた麹町は、徳川家康の江戸開府当初からの商(あきない)の町でした。現在は半蔵門から四谷までの新宿通りに沿って一丁目~六丁目があります。
麹町(こうじまち)の語源は、武蔵の国府である府中へ行く国府路、あるいは国府方という地名から、小路が多いから、さらには麹屋があったからともいいますが、将軍家光の頃(正保年間)には「麹町」という書き方が定着しました。
当時は一丁目から十三丁目まであり、周辺の武家屋敷を相手にした商家が軒をつらね、十一丁目からは四谷門外にありました。
明治11年に麹町区が誕生し、江戸初期以来の名主矢部氏の子孫・矢部常行氏が初代区長に就任しました。2年後に十一丁目~十三丁目は四谷区に編入され、昭和18年に四谷一丁目、二丁目と改称するまで、四谷区にも麹町がありました。
麹町区に残った一丁目~十丁目は、昭和9年に現在の一丁目~六丁目に集約されました。
区としての麹町は、皇居を中心に丸の内、大手町、霞ヶ関から九段などを含み、昭和22年に神田区と合併して千代田区となり、日本の中枢地域を形成しています。

「麹町」の表記について

「麹町」の漢字表記については、ホームページを閲覧される多くの方にとって画面表示が可能となるように、住居表示上の正字を用いず、略字により表示しています。詳しくは、ウェブアクセシビリティへの取り組みのページをご覧ください。

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