トップページ > 区政 > 広報 > プレスリリース > 令和5年プレスリリース > 令和5年7月プレスリリース > 公立小学校 2万4,608校から1万9,032校へ減少 千代田区 由緒ある校歌を後世へ 夏目漱石や岸田総理が卒業した由緒ある小学校の校歌も(令和5年7月28日配信)
更新日:2023年7月28日
ここから本文です。
(注釈1) 平成元年(1989年)~令和3年(2021年)/文部科学省学校基本調査
このページは、上記日付によるプレスリリース(報道機関への情報提供)を掲載したものです。現在の事業等をお知らせする内容とは限りませんので、ご注意ください。
令和5年12月、7年間にわたる施設整備が完了し、地域防災や地域コミュニティの拠点としての新たな役割も担う、お茶の水小学校の建替工事が竣工します。
近年、全国で進む少子化による統廃合などで、公立小学校の減少が進んでいます。一方、住宅や子育て施策により約20年、子どもが増加している千代田区ですが、一時、急速な都市化により人口が3万人台まで落ち込む時期がありました。お茶の水小学校は、その際、錦華小学校(注釈2)、小川小学校、西神田小学校が統合してできた小学校です。こうして、区内では戦後、永田町小学校(注釈2)など11校の小学校と共に、地域や卒業生に長く親しまれた「校歌」も消えてしまいました。
(注釈2) 錦華小学校は夏目 漱石、永田町小学校は岸田 文雄総理が卒業した由緒ある小学校でもあります。
区では、校歌に地域を知る歌詞が歌われていること、いまだに同窓会が行われていることなどを知り、このたび、各校の校歌を後世に残そうと音声データを収集し、全11校の校歌を懐かしい画像入りで公開しました。
身をおさめ こころ清めて 友どちと 学びの道に いそしみはげむ(昭和28年制定)
戦時中に作られた旧校歌「永田行進曲」の流れを汲みながら、新時代の校訓を和歌の五七五七七でうたった珍しい一番だけの永田町小学校の校歌。旧校歌の「鍛えんこのからだ」を「身をおさめ」になど、旧校歌を活かしながら新しい時代の子どもたちに校訓を伝える置き換えが見られます。
戦前の小学校で歌われる校歌は、文部省の認可を受けなければならないことが法令に明記されていましたが、短いながら凛とした新しい校歌からも、皇居や国会と向きあってきた学校の歴史と立地を感じることができます。
近代日本の学校における校歌の成立史を研究し、『校歌の誕生』(人文書院)で、1872年の学制公布から1945年までを対象に、校歌の起源と歴史的展開を追った須田氏に、地域づくりと校歌について伺いました。
韓国や現在の中国などのアジアの一部で校歌を制定している国や地域は見られますが、それ以外の欧米をはじめとする諸外国では、学校が自ら固有の校歌を制定し、しかもそれを児童生徒が歌うという習慣はほとんど見られません。そのことを踏まえると、校歌は「日本特有の学校文化」であると考えられます。
歴史的には、明治期は、どの学校でも歌える「校歌」と題した唱歌が存在し、複数の学校が同じ歌を校歌とすることが多く見られました。それが大正期になると、地域の地理的・歴史的環境が歌詞に歌い込まれ、校歌が学校の独自性を打ち出す手段となります。
1930年代になると郷土教育運動の興隆と相まって、学校教育現場で校歌が全国的に普及するようになります。校歌は「郷土歌」として位置付け、なおかつ児童生徒が歌うことで、「正しき郷土人」、「よき郷土人」を養成することが目指されました。以降、校歌は学校固有の歌でありながら、その地域社会に住む人々も歌い手にすることで、学校という範囲を超え、地域社会に結びつきを持つ歌としての性格を帯びるようになりました。
小学校の校歌に地名や山川の固有名詞が積極的にうたわれるようになるのは、おおよそ大正期以降となります。「駿台(駿河台)」「富士」(注釈3)など、土地の地名やランドマークとなる自然環境が歌詞にうたわれている錦華小学校の校歌は、まさにこの時期の校歌の典型といえます。
(注釈3) 元和年間(1615-24)以降駿河国から徳川家臣団が移り住み、駿河台と称されるようになった。台上からは富士山がよく見えたため、一説にはこれが地名の由来ともいわれる。
1.駿台 大空 緑に晴れて
富士の根 遥に 墨絵を描く
栄えある歴史の 錦に添うる
華の学舎に 学ぶよ 我等
2.「質実剛健」 これ我が精気
巷に 浮き立つ 塵打ち払う
心の駒の 綱引持ちて
常の操を 守らん 我等
それぞれの校歌が「地域」の特徴を歌っているなかで、自分が特に印象に残ったのが神田小学校の校歌です。
江戸っ子、神田っ子という言葉は聞いてはいますが、昭和25年にできた神田小学校の校歌の歌詞を読むと、「正直けっぱく苦労に負けず、弱気を助ける神田の人の、清いきしょうを親からついで…」と、神田の子どもは、親から江戸っ子の気性が受け継がれてきたのだなと気付かされました。
その他にも、「都の中心 神田の町」や、「大江戸このかた天下に知れた信用技能は神田のほまれ」など、いわゆるシビックプライドがこれでもかと詰め込まれた校歌だと感じました。
1番から3番まで、どれも最初の3行が勉強よりも地域愛が歌い込まれているのが、神田っぽい面白い校歌だと思いました。
1.伸びゆく産業花さく文化
都の中心神田の町の
栄える力をこの身にうけて
強く元気に学びましょう
2.正直けっぱく苦労に負けず
弱きを助ける神田の人の
清いきしょうを親からついで
明るくゆかいに学びましょう
3.大江戸このかた天下に知れた
信用技能は神田のほまれ
ほまれを高めて日本をおこす
未来のために学びましょう
千代田区 広報広聴課
電話番号:03-5211-4172
お問い合わせ
政策経営部広報広聴課報道担当
〒102-8688 東京都千代田区九段南1-2-1
電話番号:03-5211-4172
ファクス:03-3239-8604
メールアドレス:chiyoda@city.chiyoda.tokyo.jp
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください