トップページ > 暮らし・手続き > 地域活動・コミュニティ > まちの記憶保存プレート > まちの記憶保存プレートガイド :有島武郎・有島生馬・里見弴旧居跡
更新日:2025年3月26日
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設置場所:六番町3番地 ベルテ六番町
白樺派の作家・有島武郎(1878~1923)をはじめ、有島生馬(1882~1974)、里見弴(1888~1983)ら作家兄弟がここで育った。彼らの父が明治29年にここを購入し、自邸とした。
有島武郎(ありしまたけお・1878~1923)、明治・大正期の小説家。いわゆる有島三兄弟(有島武郎・有島生馬・里見弴)の長男。1896年、父・武が下六番町の大きな長屋門のある広大な旗本屋敷を買い、そこで兄弟たちは育った。武郎は、学習院では皇太子の学友に選ばれる温厚な性格で、アメリカにも留学した。弟・生馬を通じて知り合った武者小路実篤、志賀直哉などとともに「白樺」を創刊。「カインの末裔」「惜しみなく愛は奪ふ」など、次々と発表して文壇の寵児となった。武郎没後、菊池寛が一時住み、文藝春秋社を置く。まさにこの地は、大正から昭和期の文学の拠地であった。
有島生馬(ありしまいくま・1882~1974)、大正・昭和期の洋画家・作家。武郎の実弟。藤島武二に師事し、イタリア・フランスに留学。後期印象派の影響を受け、日本で最初にセザンヌなどフランス印象派を紹介した。二科会を創設した画家であり、かつ「白樺」の同人として文壇にも登場。学生時代から志賀直哉の親友で、島崎藤村とも親しく南米旅行にも同行した。
里見弴(さとみとん・1888~1983)、大正・昭和期の作家。有島武郎、生馬の実弟。母の実家の姓を継いだが有島家で育った。兄の武郎、生馬らとともに「白樺」の発刊にもたずさわる。隣家にいた泉鏡花にも可愛がられた。「善心悪心」「多情仏心」など多くの小説がある。座談の名手であり、抜群の記憶力で当時の交友関係などを数多く証言している。
(出典:「千代田まち事典」より)
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