トップページ > 暮らし・手続き > 地域活動・コミュニティ > 千代田区町名由来板 > 町名由来板:町名から探す > 町名由来板:岩本町三丁目(いわもとちょうさんちょうめ)
更新日:2025年3月26日
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江戸時代、この界隈(かいわい)を流れる神田川の土手は、柳並木があったことから「柳原土手」と呼ばれていました。岩本町(いわもとちょう)周辺は、江戸城から見れば鬼門(きもん)(北東方向)にあたります。柳森(やなぎもり)神社(現・神田須田町二丁目(かんだすだちょうにちょうめ)の社伝によれば、太田道灌(おおたどうかん)が鬼門除(よ)けに稲荷(いなり)を祀(まつ)り、柳を植えたのが始まりといわれています。
そんな柳原土手に沿った地域に最初に住んだのは、大名や旗本(はたもと)などの武士たちでした。江戸時代の後半になると、商人や職人で町も栄えはじめます。さらに土手の周辺では、古着を扱う露店が集まるようになりました。
その伝統は、明治維新後も引き継がれました。明治十四年(1881年)、現在の岩本町三丁目の一部から神田岩本町の一部にまたがる大市場が開設されます。「岩本町古着市場」と呼ばれたこの市場には、多いときには四百軒もの古着屋が軒(のき)を連ねていたと伝わっています。さらに昭和に入ると、町内には四階建てのビルまで登場し、「和泉橋(いずみばし)ダンスホール」が併設されました。
このように洒落(しゃれ)て小粋(こいき)な雰囲気を醸(かも)していた戦前の岩本町ですが、太平洋戦争末期には空襲によって跡形もなく焼き尽くされてしまいました。それでも戦後、この地は「服の町」としてよみがえります。紳士服や婦人服の製造を手がける繊維メーカーが集まってきて、この町でつくられた洋服が全国のデパートのショーウインドーを飾るようになりました。
現在、数こそ減ってきましたが、岩本町三丁目をささえ、町の礎(いしずえ)を築いてきたのは、こうした繊維業者です。日本の繊維産業とともに発展してきた町、それが岩本町三丁目なのです。
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