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更新日:2025年3月26日
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皇居外苑(がいえん)南東端にある外桜田門(そとさくらだもん)から港区虎ノ門(とらのもん)に至る桜田通りにかけての一帯は、霞が関(かすみがせき)(昭和四十二年〈1967年〉に霞ヶ関から改称)といいます。江戸城を守る外郭門(がいかくもん)のひとつであった虎御門(とらのごもん)は、江戸時代初期までは遠浅の海(日比谷入江(ひびやいりえ))に面していました。
霞ヶ関の名前は古代までさかのぼり、日本武尊(やまとたけるのみこと)が蝦夷(えみし)の襲撃に備えて、武蔵国(むさしのくに)に置いた関所(せきしょ)「霞ヶ関」から名付けられたといいます。その名前は関所から雲霞(うんか)を隔てた遠方を望むことができるということに由来し、江戸時代の地図にはすでに、「霞ヶ関」と記したものもあります。
江戸時代には、幾多の大名が住む武家地であり、日向延岡(ひゅうがのべおか)藩内藤家(文部科学省・会計検査院・霞が関ビル周辺)、筑前(ちくぜん)福岡藩黒田家(外務省)、安芸(あき)広島藩浅野家(国土交通省周辺)、出羽米沢(でわよねざわ)藩上杉家(法務省旧本館・法曹会館周辺)などの上屋敷(かみやしき)がありました。
明治維新後、この一帯は政府用地として利用されます。一丁目・二丁目は、明治二十年代以後の官庁集中計画に基づいて、赤レンガ造りの官庁が林立し、現在の中央官庁街となりました。警視庁前に残る法務省旧本館の建物はその名残(なごり)であり、重要文化財に指定されています。
三丁目には、明治四年(1871年)、日本初の官立の工業技術教育機関である工部大学校(東京大学工学部の前身)が開校しました。のちには各国の大公使館も置かれ、政治や外交の中心地的印象が強い霞が関ですが、三丁目一帯は近代産業も芽生え、発展してまいりました。
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