トップページ > 暮らし・手続き > 地域活動・コミュニティ > 千代田区町名由来板 > 町名由来板:町名から探す > 町名由来板:神田錦町一丁目(かんだにしきちょういっちょうめ)
更新日:2025年3月26日
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江戸時代、この界隈(かいわい)は、武家屋敷が軒(のき)を連ねる地域でした。当時の武家地は町名がないかわりに通称が用いられ、南北に走る通りは「錦小路(にしきこうじ)」と呼ばれていました。近くに一色(いっしき)という名の旗本(はたもと)の家が二軒あったことから二色(にしき)、そして「二色小路」がいつのまにか「錦小路」となったようです。
もっとも、錦という名の由来については、住人が京都にある錦小路にあやかりたいと考え、錦という呼び名を付けたという説や、近くにあった護持院(ごじいん)に、錦のように美しい虫を祀った(まつった)弁財天堂(べんざいてんどう)があったためという説もありますが、本当のところははっきりしていません。
ちなみに護持院は、享保(きょうほう)二年(1717年)の大火で、跡形もなく焼け落ちてしまいました。江戸城の間近で起こった火事に、幕府関係者はよほど驚いたのでしょう。護持院の跡地だけでなく、この町内にあった武家屋敷まで召し上げて火除地(ひよけち)(延焼防止の空き地)とし、万全を期しています。
神田錦町一丁目(かんだにしきちょういっちょうめ)という町名が正式に生まれたのは、明治五年(1872年)のことです。明治四十四年(1911年)に神田が外され錦町一丁目と変わりますが、昭和二十二年(1947年)にはまた神田錦町一丁目となり、現在に至っています。
この町は第二次世界大戦でふたたび焦土と化しましたが、戦後いちはやく復興を遂(と)げました。ビル化が進むなかで人口は減少しましたが、町の氏神様(うじがみさま)である太田姫稲荷(おおたひめいなり)神社の祭礼などの行事を通して、人々の心のふれあいが大切にされています。
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