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更新日:2025年3月26日
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かつてこの界隈(かいわい)は北神保町(きたじんぼうちょう)と呼ばれていました。「神保」という町名は、元禄(げんろく)年間(1688年~1704年)、ここ(現在の神田神保町二丁目(かんだじんぼうちょうにちょうめ)内)に神保長治(じんぼうながはる)という旗本(はたもと)が住んでいたことに由来します。
江戸時代には武家の屋敷が集まっていたこの土地に、「北神保町」という町名が誕生したのは明治五年(1872年)のことです。この年、周辺には南神保町(みなみじんぼうちょう)、表神保町(おもてじんぼうちょう)、裏神保町(うらじんぼうちょう)なども誕生しました。
明治以降、神田・お茶(ちゃ)の水(みず)界隈には学校が立ち並ぶようになりました。北神保町にも明治四十三年(1910年)、東洋家政女学校が誕生しています。当時「岸辺(きしべ)のおじさん」「子どもの友だち」として親しまれた教育者・岸辺福雄(ふくお)が創立した学校で、普通科二年と高等科一年の教育課程がありました。ちなみに、この学校で毎年催(もよお)されていた愛全地蔵(あいぜんじぞう)を祀(まつ)る祭礼は、いまも地域の人々に受け継がれています。
北神保町で忘れてはならないのが、明治二十三年(1890年)に開設した神保院(じんぼういん)です。破傷風菌(はしょうふうきん)の純粋培養(じゅんすいばいよう)で有名な北里柴三郎博士から指導を受け、感染症の患者を重点的に受け入れることで知られた病院でした。
江戸時代、武家の屋敷が中心だったこの一帯は、明治以降、教育と医療の町に生まれ変わり、発展してきたのです。
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