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更新日:2025年3月26日
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江戸時代この界隈(かいわい)は、江戸城の内堀と外堀に囲まれていました。丸の内とは、堀で囲まれた内側という意味合いをもった名で、大名屋敷が立ち並んでいました。
明治維新後、大名屋敷が取り払われてから、周辺は一気にさびれていきます。屋敷跡が陸軍の練兵場などの軍用施設になり、街としての新しい開発が行われなかったためです。明治の文学者田山花袋(たやまかたい)は、明治二十年(1887年)ごろの丸の内を次のように描写しています。「丸の内は、いやに陰気で、さびしい、荒涼とした、むしろ衰退した気分が満ちわたっていて、宮城も奥深く雲の中に鎖され(とざされ)ているように思われた」(『東京の三十年』)
この丸の内一帯が大きく変貌(へんぼう)をとげたのは明治二十三年(1890年)、陸軍が一帯を三菱社に払い下げてからです。以後、三菱は大規模な再開発にのりだし、地域内の道路整備を行ったうえで、次々と洋風の建築物を建てました。赤レンガの建築物を中心としたそれらの建物が、ロンドンの景観を思わせたことから、一帯は「一丁倫敦(ロンドン)」ともてはやされるようになりました。
さらに大正三年(1914年)には東京駅も完成。第一次世界大戦による空前の好景気が追い風となり、丸の内は一気に日本を代表するオフィス街へと成長しました。
そのような歴史をもったこの界隈が、正式に「まるのうち」と呼ばれるようになったのは昭和四年(1929年)、丸ノ内一丁目~三丁目という町名が誕生してからのことです。そして昭和四十五年(1970年)、町名の表記が丸ノ内から丸の内と変更され、現在に至っています。
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