更新日:2014年11月11日

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町名由来板:金澤町(かなざわちょう)

地図

  • 設置年月日:平成15年10月10日
  • 所在地:外神田三丁目4番(昌平童夢館)

町名由来板

ここはかつて金澤町(かなざわちょう)と呼ばれていました。町名の由来は、江戸時代の初めころにさかのぼります。江戸の大半を焼き尽くした明暦(めいれき)三年(1657年)の大火(振袖(ふりそで)火事)を機に、幕府は江戸の都市計画を見直します。
その政策のひとつとして打ち出されたのが、大名に、屋敷を上屋敷(かみやしき)・中屋敷(なかやしき)・下屋敷(しもやしき)に分けさせるというものでした。上屋敷とは大名の公邸で、藩主とその妻が生活する屋敷のことです。また、中屋敷は跡継ぎや前藩主の屋敷、下屋敷は別荘などとして使われていた屋敷を指します。
大名のなかでも最大の石高(こくだか)をほこる加賀(かが)藩の前田家は、神田神社近くに上屋敷を拝領(はいりょう)しました。加賀藩は、藩主の居城(きょじょう)が金沢にあったことから「金澤(かなざわ)藩」ともいわれていました。つまり、神田神社近くの外神田三丁目に「金澤」という町名が伝わるのは、かつて加賀藩の藩邸があったことの名残(なごり)なのです。
前田家の上屋敷は、天和(てんな)二年(1682年)の火事で類焼し、幕府に没収されます。その翌年になると、湯島一丁目の職人や商人たちがそこに代地を与えられて移転してきましたが、金澤という町名はそのまま受け継がれていきました。
武家屋敷のあった金澤町ですが、のちに商人や職人の町として発展を続けます。町内には多種多様な店があったようで、文政(ぶんせい)七年(1824年)に書かれた「江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)」には、「やけど妙薬(みょうやく)」で知られた田村万兵衛(まんべえ)、鼻紙袋(はながみぶくろ)や煙草(たばこ)入れを扱う津久田屋(つくだや)、瀬戸物問屋(せとものどんや)である玉川卯兵衛(うへえ)といった商人たちの名前が記載されています。

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