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更新日:2014年11月11日

町名由来板:神田紺屋町(北部)(かんだこんやちょう ほくぶ)

地図

  • 設置年月日:平成15年8月7日
  • 所在地:神田紺屋町41番地

町名由来板

慶長(けいちょう)年間(1596年~1615年)に誕生したこの町には、藍染(あいぞ)めを手がける染物屋(そめものや)が軒(のき)を連ねていました。「紺屋町(こんやちょう)」という町名は、そのために生まれたとされています。
明治維新以降も、紺屋町には多くの染物屋が集まっていたようです。明治時代後半の東京を描いた「風俗画報(ふうぞくがほう)」は、この界隈(かいわい)の景観について、次のように記述しています。
「……其(そ)の晒らせし(さらせし)布は概ね(おおむね)手拭染にして……晴天には、いづれ晒らさぬ家もなく、遠く之を望むに、高く風に翻へりて(ひるがへりて)、旗の如く又幟(のぼり)の如く、頗ぶる(すこぶる)美観なり」
藍や紺の手染めの布が、あたかも万国旗のように町を彩っていた(いろどっていた)というわけです。また、「狂歌江都名所図会(きょうかえどめいしょずえ)」には、「紺屋町近くにありて藍染の川の流れも水浅黄(みずあさぎ)なり」と、川の水まで浅黄色(藍色を薄めた色)をしていると詠まれて(よまれて)います。いずれも江戸時代から明治期にかけて、手拭い(てぬぐい)や浴衣(ゆかた)の一大生産地だった町のさまをほうふつとさせる描写です。
「その年の流行は紺屋町に行けばわかる」といわれ、江戸の流行の発信地でもありました。紺屋町で染められた手拭いや浴衣は、江戸っ子たちにもてはやされ、なかには紺屋町以外で染めたものを「場違い」といって敬遠する人まで現れたほどです。
ところで現在、紺屋町には、紺屋町北部町会と、紺屋町(南)町会の二つの住民組織があります。その理由は、両町会の間に神田北乗物町(かんだきたのりものちょう)が存在し、町そのものを南北に分けているからです。こんな不可思議な町の形が生まれたのは、江戸時代の享保(きょうほう)四年(1719年)のことでした。当時、神田北乗物町の南側だけに集まっていた紺屋町の一部が、幕府の命令によって北乗物町の北部に移されたのです。その跡地は、防災用の空き地となりました。災害から町を守るための幕府の施策が、このような町の配置を生み出したものと思われます。

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地域振興部コミュニティ総務課コミュニティ係

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