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更新日:2024年3月4日

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町名由来板:宮本町(みやもとちょう)・神田神社(かんだじんじゃ)

地図

  • 設置年月日:平成15年7月28日
  • 所在地:外神田二丁目16番

町名由来板

通称「神田明神(かんだみょうじん)」とも呼ばれる神田神社(かんだじんじゃ)は、天平(てんぴょう)二年(730年)以来の伝統を誇ります。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、そして平将門命(たいらのまさかどのみこと)です。
将門が神田神社に祀られる(まつられる)ようになったのは、鎌倉時代のことです。当時、流行した疫病(えきびょう)を将門のたたりではないかと考えた人々が、その霊を慰める(なぐさめる)ため、神として祀ったことが始まりとされています。慶長(けいちょう)五年(1600年)九月十五日、徳川家康は関ヶ原(せきがはら)の戦いに勝利し、天下人(てんかびと)となりました。この日がちょうど同社の祭礼「神田祭(かんだまつり)」が催される(もよおされる)日にあたっていたことから、徳川将軍家ではこれを吉事の祭礼とみなすようになりました。以来、幕府は神田神社に崇敬を寄せ、二代将軍秀忠(ひでただ)のころには、江戸の総鎮守(そうちんじゅ)に定められました。
元和(げんな)二年(1616年)に神田明神が現在の場所に鎮座した際、神主が寺社奉行所に願い出て許しを得、商人や職人が住む町をつくります。これが、神田明神門前町(かんだみょうじんもんぜんちょう)、神田明神表門前(かんだみょうじんおもてもんぜん)、神田明神裏門前(かんだみょうじんうらもんぜん)、神田明神西町(かんだみょうじんにしまち)の門前町です。
明治二年(1869年)、四つの町が合併し神田明神門前町となったのち、明治五年(1872年)には境内(けいだい)などの社地を編入して、神田宮本町(かんだみやもとちょう)となりました。江戸総鎮守のお膝元(ひざもと)で生活することを誇りとしてきた住民たちの心意気が形になった名前です。その後、昭和三十九年(1964年)に外神田二丁目の一部となりましたが、いまでも神田祭には二百基余りの神輿(みこし)が繰り出し、人々の篤い(あつい)信仰を引き継いでいます。

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