トップページ > 文化・スポーツ > 文化 > 千代田区町名由来板 > 町名由来板:町名から探す > 町名由来板:淡路町二丁目(あわじちょうにちょうめ)

更新日:2014年11月11日

ここから本文です。

町名由来板:淡路町二丁目(あわじちょうにちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成25年3月
  • 所在地:神田淡路町二丁目107番地(淡路公園)

町名由来板

江戸時代、この界隈(かいわい)は、武家屋敷が立ち並ぶ地域でした。古い絵図を見ていくと、永井信濃守(ながいしなののかみ)の屋敷が松平伊豆守(まつだいらいずのかみ)の屋敷となり、のちに若狭小浜(わかさおばま)藩酒井家の上屋敷(かみやしき)(藩主の邸宅)となっています。
明治五年(1872年)、ここに神田淡路町二丁目(かんだあわじちょうにちょうめ)という名前が正式に付けられました。町名の由来とされる淡路坂(あわじざか)は、鈴木淡路守(すずきあわじのかみ)の屋敷があったことにちなんでいます。
明治のはじめ、現在の淡路公園の場所に、明治後期の日本を代表する知識人が輩出した共立(きょうりつ)学校(のちの開成(かいせい)学園)が創設されます。正岡子規(まさおかしき)や南方熊楠(みなかたくまぐす)などもここで学んでいます。また町内には一時期、「たけくらべ」「にごりえ」などで知られる女流作家で、歌人でもあった樋口一葉(ひぐちいちよう)も住んでいました。
淡路町は文化の町となり、その進取の気風は町並みにも表れていました。大正末期から昭和初期にかけては、昌平橋(しょうへいばし)近くに活動常設館(映画館)の名門である神田シネマパレスがあり、多くの人でにぎわっていました。
明治八年(1875年)に開校して以来、地域コミュニティのシンボルであった淡路小学校は、平成五年(1993年)に統合され、117年の歴史に幕を閉じました。その跡地には平成二五年(2013年)に再開発によって、新たな地域コミュニティの核となる「WATERRAS」(わてらす)が完成しました。

お問い合わせ

地域振興部コミュニティ総務課コミュニティ係

〒102-8688 東京都千代田区九段南1-2-1

電話番号:03-5211-4180

ファクス:03-3264-7989

メールアドレス:komisoumu@city.chiyoda.lg.jp

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?