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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田神保町一丁目(かんだじんぼうちょういっちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年3月31日
  • 所在地:神田神保町一丁目3番地

町名由来板

江戸時代、この界隈(かいわい)には武家屋敷が立ち並んでいました。そこに表神保町(おもてじんぼうちょう)、裏神保町(うらじんぼうちょう)などの町が誕生したのは、明治五年(1872年)のことです。裏神保町は、大正十一年(1922年)に通神保町(とおりじんぼうちょう)と改称したのち、表神保町、表猿楽町(おもてさるがくちょう)などとともに、昭和九年(1934年)、神保町一丁目(じんぼうちょういっちょうめ)となりました。さらに昭和二十三年(1948年)、神田区と麹町区(こうじまちく)が合併して千代田区ができると、現在の神田神保町一丁目になりました。
町名の由来は、元禄(げんろく)年間(1688年~1704年)のころ、旗本(はたもと)の神保長治(じんぼうながはる)が広大な屋敷をかまえ、そこを通っていた小路が「神保小路(じんぼうこうじ)」と呼ばれるようになったためといわれています。

わが街、神田神保町

神保町(じんぼうちょう)という町名の由来が、江戸時代の旗本(はたもと)神保家の屋敷からきたことは、すでによく知られている。
試みに、江戸城下の変遷絵図集「御府内沿革図書(ごふないえんかくずしょ)」を開くと、早くも十七世紀後半(延宝(えんぽう)年間)の図上に、「神保新右衛門(じんぼうしんえもん)」の名前が見つかる。屋敷の場所は、今の白山通(はくさんどお)りからさくら通りにはいった左側、有斐閣(ゆうひかく)ビルのあたりになる。神保家の名は、幕末の切絵図にも出てくるから、江戸時代を通じてずっとこの地に、屋敷があったことが分かる。
神保家ほどではないが、わたしの神保町との付き合いも、きわめて長い。小学生のころから数えれば、およそ半世紀にも及ぶ。高校生のころまで、本を探しによく足を運んだものだし、かよった大学は神田駿河台(かんだするがだい)、就職した広告会社は神田錦町(かんだにしきちょう)と、いずれも神保町と目と鼻の先の距離にあった。あまりに長い付き合いなので、ついそのよさを忘れてしまいがちだが、かりにわたしが東京から他の土地に移住して、神保町を離れることになったらと考えると、冷や汗を禁じえない。この街に対する愛着は、いわば自分の家や書斎を大切にする気持ちと、よく似ている。
神保町は〈本の街〉といわれ、大型新刊書店や大小無数の古書店がひしめいて、独特の雰囲気を醸(かも)し出す。しかし、神保町の魅力は本だけにとどまらない。この街は〈食〉に関しても、並なみならぬ文化を持っている。中華をはじめ、イタリア、ブラジル、インド等の各国料理、さらに寿司、うなぎ、ラーメン、蕎麦(そば)となんでもあり、飲み食いにはいっさい困らない。戦前、戦後の歴史とともに歩んできた多くの老舗(しにせ)は、再開発で街の景観が一変した今も、なお健在である。
そうした新旧すべてを引っくるめて、〈神保町文化〉と呼ぶことに異論のある人はいない、とわたしは信じている。

逢坂 剛

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