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更新日:2018年1月1日

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町名由来板:三崎町一丁目(みさきちょういっちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年2月7日
  • 所在地:神田三崎町一丁目4番

町名由来板

三崎町(みさきちょう)という町名が誕生したのは明治五年(1872年)のことです。江戸に幕府が開かれる以前、この地にあった「三崎村(みさきむら)」が町名の由来といわれています。江戸が開発されるまで、現在の大手町から日比谷や新橋周辺には日比谷入江と呼ばれる遠浅の海が広がっていました。三崎村は、日比谷入江に突き出した「ミサキ(岬)」だったため、この名が付いたと伝わっています。
JR水道橋駅のすぐ南側には三崎稲荷(みさきいなり)神社が鎮座しています。創建は詳らか(つまびらか)ではありませんが、鎌倉時代初期の建久(けんきゅう)年間(1190年~1199年)よりも前とも伝わっており、とても歴史ある神社です。江戸時代には、三代将軍家光(いえみつ)が自ら(みずから)三崎稲荷を崇敬(すうけい)するばかりでなく、参勤交代の大名たちにも信仰させたことから、参勤登城する大名は必ず、まず三崎稲荷に参拝し心身を清めたそうです。ここから三崎稲荷は「清めの稲荷」とも称されています。
閑静な武家地であった三崎町は、明治も中ごろを過ぎると劇場や飲食店が増え、賑やか(にぎやか)な歓楽街へと生まれ変わります。隣町の三崎町二丁目(みさきちょうにちょうめ)には三崎三座(みさきさんざ)と呼ばれる三つの劇場ができるなど、周辺も活気にあふれる街でした。
関東大震災後の区画整理で、三崎町一丁目(みさきちょういっちょうめ)は昭和九年(1934年)に三崎町二丁目と統合されますが、町名は三崎町一丁目のままでした。昭和二十二年(1947年)、神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区になると、頭に神田を付けて神田三崎町一丁目に変わります。そして、昭和四十二年(1967年)の住居表示の実施にともない、神田三崎町一丁目は分割され、旧三崎町一丁目だった区域がふたたび三崎町一丁目と定められ、現在に至っています。

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