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更新日:2018年1月1日

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町名由来板:神田三崎町(かんだみさきちょう)

地図

  • 設置年月日:平成15年9月26日
  • 所在地:神田三崎町二丁目5番

町名由来板

およそ四百年前、江戸幕府が開かれるころまで、この界隈(かいわい)は三崎村(みさきむら)と呼ばれていました。
当時、現在の大手町から日比谷や新橋周辺は、日比谷入江(いりえ)という遠浅の海でした。三崎村はこの日比谷入江に突き出た土地の端にあったため「ミサキ」の名が付けられたと伝えられています。
やがて、家康をはじめとする歴代の将軍が城下町としての開発に力をそそぎ、入江や湿地帯は埋め立てられました。そしてここは、大名や旗本の武家屋敷が立ち並ぶ町に変わり、江戸時代を通じて小川町(おがわまち)と呼ばれていました。安政(あんせい)六年(1859年)ごろには、伊予今治(いよいまばり)藩松平家の屋敷とその周辺に幕府の講武所(こうぶしょ)が設けられ、武芸の訓練が行われました。
明治五年(1872年)、東京の多くの町が新町名へ変更した際に、この界隈も三崎町と改称されました。明治二十三年(1890年)には、陸軍練兵場(旧・講武所)が三菱社に払い下げられ、市街地としての三崎町の開発が始まりました。その後、劇場の三崎三座(東京座、三崎座、川上座)や神田パノラマ館ができ、日本法律学校(現・日本大学)も移転してきました。
昭和二十二年(1947年)、神田区と麹町区が合併して千代田区となり、このとき旧神田区の町がいっせいに神田を冠称したため、三崎町も「神田三崎町」となりました。ところが、昭和三十七年(1962年)、住居表示により神田三崎町の名前が消える話がもちあがりました。そのとき、長いあいだ親しんだ町名が消えてしまうのを惜しんだ地域の人々は、町をあげて運動を展開し、その名前を残すことに成功しました。
こうして三崎町という、むかしからの由来をもつ町名が現在に引き継がれているのです。

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