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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:九段四丁目(くだんよんちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成15年6月21日
  • 所在地:九段南四丁目7番

町名由来板

九段四丁目界隈(くだんよんちょうめかいわい)は、江戸時代から昭和初期まで三番丁(さんばんちょう)・四番丁(よんばんちょう)と呼ばれていました。九段北と九段南を分けて走る靖国通りも、かつては三番丁通りと呼ばれ、幅が8メートルほどの細い道でした。武家の屋敷町ということもあり閑静な通りだったそうです。
かつて、旗本(はたもと)一番組から六番組まであった徳川家の親衛隊が江戸城の西側に住居を与えられ、旗本の町をつくったのが、番町の名のおこりでした。しかし、明治維新に際し、徳川慶喜(よしのぶ)の跡を継いだ徳川家達(いえさと)が静岡に領地を与えられて江戸を離れると、旗本がこれについていったため、一時は町内が閑散とした状態だったようです。その後、官有地として公人の住まいに転用されたり、商家が登場したりするなどして徐々に賑わい(にぎわい)を取り戻していきました。隣接(りんせつ)する九段三丁目界隈は、上三番町(かみさんばんちょう)と呼ばれ花街(はなまち)として栄える一方で、九段四丁目は下三番町(しもさんばんちょう)と呼ばれ、上三番町を支える商人街として発展してきたのです。
昭和八年の区画整理にともなう町名変更のとき、住民の意志を反映して初めて「九段」という町名が誕生しました。そして下三番町地域と四番町の西側半分が一つとなり、九段四丁目となったのです。
もともと下三番町時代の大正八年(1919年)に、氏神(うじがみ)である日枝神社(ひえじんじゃ)(千代田区永田町)の町会神輿(みこし)を維持していた「三番町睦会(さんばんちょうむつみかい)」が、関東大震災と太平洋戦争という大きな試練をのりこえて、現在の九段四丁目につながっています。先人たちが命がけで守ってきた大神輿は二代目となりましたが、江戸文化を継承し、また、江戸天下祭「山王祭(さんのうまつり)」の一翼を担う(になう)という自負心が、九段四丁目気質となってしっかり受け継がれています。

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