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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:中猿楽町(なかさるがくちょう)

地図

  • 設置年月日:平成15年9月30日
  • 所在地:神田神保町二丁目2番地

町名由来板

ここはかつて中猿楽町(なかさるがくちょう)と呼ばれていました。
室町時代以降、猿楽(のちの能楽)は、多くの武士たちに楽しまれるようになりました。なかでも観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)の流れを受け継ぐ「観世座(かんぜざ)」は、江戸幕府から手厚い保護を受けていました。その家元観世太夫(かんぜだゆう)や一座の人々の屋敷が、現在の神田神保町(かんだじんぼうちょう)一丁目~二丁目から西神田(にしかんだ)一丁目~二丁目のあたりにあったことから、この一帯に「猿楽町」という名が生まれました。
この界隈(かいわい)は江戸時代、おもに武家屋敷が軒(のき)を連ねていました。もともと武家地には町名が付けられていなかったため、「中猿楽町」という町名が正式に誕生したのは、明治五年(1872年)のことになります。
ところで町内には、大正三年(1914年)、中国の留学生が日本国内で進学する際、欠かすことのできない日本語や英語、数学などを専門に教える東亜高等予備学校が設置されました。中華人民共和国成立後、国務院総理(首相)を務めた周恩来(しゅうおんらい)も、大正六年(1917年)から約二年間、この学校で学んでいます。
中猿楽町はその後、昭和九年(1934年)、神保町二丁目と西神田一丁目の一部に組み込まれました。この地域の町会は、その名に「中猿」の二文字を残し、神田中猿町会と名乗っていましたが、昭和二十九年(1954年)四月、神保町と西神田の町名から「神西(じんせい)町会」と改めて、現在に至っています。

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