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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田錦町二丁目(かんだにしきちょうにちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年3月30日
  • 所在地:神田錦町二丁目2番地

町名由来板

江戸時代、この界隈(かいわい)は、武家屋敷が軒(のき)を連ねる地域でした。当時の武家地には町名がなく、かわりに「錦小路(にしきこうじ)」という通称で呼ばれていました。もともとは「二色(にしき)小路」という字を当てていたとされるこの呼び名は、近くに一色(いっしき)という名の旗本(はたもと)の家が二軒あったことに由来するといわれています。
錦という名の由来については、この周辺を所有していた護持院(ごじいん)に、錦のように美しい虫を祀った(まつった)弁財天堂(べんざいてんどう)が建っていたためという説、住人が京都にある錦小路にあやかりたいと考え、錦と付けたという説もありますが、本当のところははっきりしていません。
護持院は、享保(きょうほう)二年(1717年)の大火で跡形もなく焼け落ちてしまいました。江戸城外堀に隣接する地域で起こった火事に幕府関係者は驚き、護持院の跡地だけでなく、周辺の武家屋敷も召し上げて火除地(ひよけち)(延焼防止の空き地)としました。この広大な火除地はのちに「護持院原(ごじいんはら)」と呼ばれ、将軍の鷹狩(たかがり)などがおこなわれました。
神田錦町二丁目(かんだにしきちょうにちょうめ)という町名が正式に誕生したのは、明治五年(1872年)のことです。明治十八年(1885年)には、中央大学の前身である英吉利法律学校(いぎりすほうりつがっこう)が開学しています。明治四十年(1907年)に小川町で開学した電機学校(東京電機大学の前身)は、昭和になってこの町内に移ってきました。武家地だったこの界隈は、明治以降、教育機関が立ち並ぶ文教の町として発展を続けました。
明治四十四年(1911年)、町名から神田が外され錦町二丁目に変更されますが、昭和二十二年(1947年)にはふたたび神田錦町二丁目となり、現在に至っています。

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