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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田市場(かんだいちば) 神田須田町一丁目(かんだすだちょういっちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成15年3月31日
  • 所在地:神田須田町一丁目8番地

町名由来板

中世の神田川右岸は、水田が多い農村地帯だったようです。幕府が編集した江戸の地誌である「御府内備考(ごふないびこう)」には、町が整備される前、この周辺が須田村(すたむら)と呼ばれていたという記述があります。江戸初期の慶長(けいちょう)年間(1596年~1615年)にも、この界隈(かいわい)を中心に「神田青物市場(かんだあおものいちば)」の起源とされる野菜市が開かれたこともわかっています。
水運を利用して神田川沿いの河岸や鎌倉河岸(かまくらがし)から荷揚げされた青物が、一万五千坪(約4万9500平方メートル)におよぶ広大なこの青物市場で商われていました。
当時の市場では、店が店員の住まいを兼ねていました。つまり、現在のわたしたちが考える市場と違い、当時は市場の中に町があるといったイメージでした。巨大な市場でしたので、中にある町も須田町だけでなく、多町(たちょう)、佐柄木町(さえきちょう)、通新石町(とおりしんこくちょう)、連雀町(れんじゃくちょう)なども市場の一部をかたちづくっていたのです。そして、これら五町の表通りには、野菜や果物を商う八百屋が軒を連ね、連日のように威勢のいい商いが行われていたということです。青物市場の別名である「やっちゃ場」は、そんな威勢のいい競り(せり)のときのかけ声から生まれた言葉なのです。
江戸、そして東京の食生活を支え続けたこの市場は、昭和三年(1928年)には秋葉原西北に、平成二年(1990年)には大田区へと移転しました。それでも、現在の須田町町内には、東京都の歴史的建造物に指定されるような老舗(しにせ)商店が数多く営業しています。須田町は、江戸からつづく活気あふれる商いの伝統が、いまだに息づく町なのです。
現在の須田町中部町会は、この青果市場の中心であった連雀町と佐柄木町のそれぞれ一部が、関東大震災後の土地区画整理事業によって合併し、誕生しました。

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