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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:北の丸公園(きたのまるこうえん)

地図

  • 設置年月日:平成16年7月28日
  • 所在地:北の丸公園3番

町名由来板

江戸時代のはじめ、このあたりは関東総奉行内藤清成(ないとうきよなり)らの屋敷となり、代官町(だいかんちょう)と呼ばれるようになりました。その後、三代将軍家光(いえみつ)の弟、駿河府中(するがふちゅう)藩主徳川忠長(とくがわただなが)や春日局(かすがのつぼね)、家光の次男松平長松(まつだいらちょうまつ)(のちの甲斐甲府(かいこうふ)藩主徳川綱重(つなしげ))などの屋敷となりました。さらに享保(きょうほう)十六年(1731年)に八代将軍吉宗(よしむね)の次男徳川宗武(むねたけ)(御三卿田安(ごさんきょうたやす)家)、宝暦(ほうれき)八年(1758年)には九代将軍家重(いえしげ)の次男徳川重好(しげよし)(御三卿清水家)がそれぞれ上屋敷(かみやしき)を与えられています。安政(あんせい)三年(1856年)には、この絵図にも見られるように田安家・清水家上屋敷のほかに御蔵地(おくらち)、植溜御用地(うえだめごようち)、馬場などがありました。
明治維新後、田安家・清水家の上屋敷は一時御用邸(ごようてい)となり、その後は近衛歩兵営(このえほへいえい)用地となりました。近衛歩兵営では明治十一年(1878年)、日本初の兵士反乱事件「竹橋事件(たけばしじけん)」が起きています。
明治八年(1875年)、ここは東代官町(ひがしだいかんちょう)、西代官町(にしだいかんちょう)となりました。そして明治十二年(1879年)、二つの町が合併して新たに代官町と改称しました。
第二次世界大戦後は、森林公園として整備が進められ、昭和四十二年(1967年)、住居表示の実施により北の丸公園(きたのまるこうえん)と改められました。名称はかつての江戸城北の丸にあたることに由来します。
公園は、昭和天皇の還暦を記念して昭和四十四年(1969年)に開園し、園内には日本武道舘や科学技術館、国立公文書館、国立近代美術館などがあります。また石垣には国指定天然記念物のヒカリゴケ生育地もあり、都心のオアシスとして親しまれています。

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