更新日:2014年11月11日

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町名由来板:豊島町(としまちょう)

地図

  • 設置年月日:平成16年3月15日
  • 所在地:東神田二丁目5番

町名由来板

この界隈(かいわい)は、かつて豊島町(としまちょう)と呼ばれていました。
元禄(げんろく)十六年(1703年)、湯島一丁目(ゆしまいっちょうめ)、同二丁目、同三丁目(現・文京区湯島一丁目周辺)の北側にあった町屋が地震による火事で類焼し、翌十七年、被災した湯島の人々の新たな居住地が、もともと武家屋敷であったこのあたりに定められます。そのときに誕生したのが豊島町です。
豊島という町名の由来ははっきりしていませんが、町奉行が「この一帯が属している豊島郡には豊島村という地名がすでにあるが、それとは別に豊島町という町名があってもいいだろう」として名付けたと伝えられています(「神田区史」)。また、享保(きょうほう)年間(1716年~1736年)の地図には「トヨシマ丁」とあり、「とよしまちょう」とも呼ばれていたといわれています(「新撰 東京名所図会」)。
江戸時代、このあたりには「比丘尼横丁(びくによこちょう)」や、髪油として美男葛(びなんかずら)の油を売る店もあったことから俗に「桂横丁(かつらよこちょう)」と呼ばれた通りもありました。そのほか、ここにはさまざまな店屋がありました。
文政(ぶんせい)七年(1824年)の「江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)」には、銘茶所(めいちゃどころ)伊勢屋、菓子屋鶴屋、水油(みずあぶら)仲買(なかがい)桝屋(ますや)など、慶応(けいおう)年間(1865年~1868年)の「江戸食物独案内(えどたべものひとりあんない)」には、豆腐酒(とうふさけ)芋酒屋(いもざかや)の鬼熊、雑菓子卸(おろし)の青野屋などが見られます。さらに明治のころになると、豊島館という旅館、龍角散(りゅうかくさん)の藤井薬種店、鈴木砂糖商などがあって、たいへん賑わって(にぎわって)いました。

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