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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田司町二丁目(かんだつかさまちにちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年1月11日
  • 所在地:神田司町二丁目9番地

町名由来板

かつてこの界隈(かいわい)は、おもに商人や職人が住む町として発展してきました。
江戸時代、現在の神田司町二丁目(かんだつかさまちにちょうめ)にあたるこの地域には、佐柄木町(さえきちょう)、新銀町(しんしろがねちょう)、雉子町(きじちょう)、関口町(せきぐちちょう)、三河町三丁目(みかわちょうさんちょうめ)、三河町四丁目(みかわちょうよんちょうめ)などがありました。
このうち雉子町には、「江戸名所図会」(えどめいしょずえ)を親子三代にわたって完成させたことや、「東都歳事記(とうとさいじき)」「武江年表(ぶこうねんぴょう)」などで有名な、斎藤月岑(さいとうげっしん)が住んでいました。斎藤家は代々、雉子町ほか五ヶ町の名主をつとめていました。
明治五年(1872年)、これらの町はそれぞれ正式な町名となりますが、昭和初期の区画整理の際にひとつに統合されることになります。新しい町名の命名は、江戸の総鎮守(そうちんじゅ)として親しまれる神田神社の平田盛胤宮司(ひらたもりたねぐうじ)に依頼され、「司(つかさ)」が縁起のよい文字であることから「司町(つかさまち)」と名付けられました。こうして司町二丁目は一丁目とともに誕生したのです。昭和十年(1935年)のことでした。
昭和二十二年(1947年)、神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区が成立すると、司町二丁目は神田司町二丁目となります。その後、住居表示の実施により神田司町一丁目(かんだつかさまちいっちょうめ)は内神田(うちかんだ)一丁目~二丁目の一部になりましたが、神田司町二丁目の町名は現在も引き継がれ、永く人々に親しまれています。

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