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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田神保町二丁目(かんだじんぼうちょうにちょうめ)・一ツ橋二丁目(ひとつばしにちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年1月7日
  • 所在地:神田神保町二丁目17番地

町名由来板

神田神保町二丁目(かんだじんぼうちょうにちょうめ)は、一丁目(いっちょうめ)とともに世界に誇る古書店街(こしょてんがい)として知られていますが、江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいました。町名の由来は、元禄(げんろく)(1688年~1704年)ごろ、現在のさくら通り(救世軍(きゅうせいぐん)本部の横)のあたりに神保長治(じんぼうながはる)という旗本(はたもと)が広大な屋敷をかまえ、付近に神保小路(じんぼうこうじ)という通称が生まれたことからです。一ツ橋(ひとつばし)はさらに古く、徳川家康が江戸入府のころ、日本橋川(現在の外堀)に架けられた橋の名称に由来するものです。
明治五年(1872年)の市区改正で、この地区は南(みなみ)・北神保町(きたじんぼうちょう)と呼ばれるようになりました。そのころはまだ人口の少ない場所でしたが、付近の一ツ橋地区に開成学校(かいせいがっこう)をはじめ、東京大学、東京英語学校などが連なる文教地区として発展したため、神保町一帯には多くの書店が軒(のき)を並べるようになりました。明治後期には隣接の町内を含めて数十軒の古書店が生まれ、大正の初期には周辺の学校は七十以上を数え、新刊書店や出版社も増加しました。昭和戦前にかけては、喫茶店や映画館も含む学生街として大いに繁昌(はんじょう)したものです。
第二次大戦中、神保町と一ツ橋地区はともにアメリカ軍の空襲を免れ(まぬがれ)ました。神保町は昭和二十二年(1947年)に神田神保町と改められ、その後も、隣り合う一丁目や三崎町(みさきちょう)、小川町(おがわまち)なども含む古書店街として発展を続けてきました。一ツ橋一帯は企業が集中し、昭和四十一年(1966年)には竹橋や神保町など、地下鉄の各駅も誕生して交通至便となり、近年は海外から訪れる人も増えています。
私は半世紀以上も前、高校生時代に初めて一ツ橋の共立講堂を訪れて以来、この地区全体の文化の香りに引かれ、とくに書物文化の奥深さに強く魅せられるようになりました。以後も週に一度ぐらいは必ず訪れていますが、その間にめずらしい本、貴重な資料を見つけた経験も数多く、古書店の主人から書物のことを教えられたこともあります。手に入れたばかりの本を近くの喫茶店で開くのを、いまでも最大の楽しみとしています。伝統ある二つの町のたたずまいは、東京の中心部にふさわしい品位を備えているようです。

紀田 順一郎

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