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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:麹町五丁目(こうじまちごちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年6月26日
  • 所在地:麹町五丁目2番地

町名由来板

江戸時代以前、このあたりは矢部村または横山村と呼ばれていました。徳川家康が江戸に入った後、現在の麹町(こうじまち)大通り(新宿通り)沿いに町屋が開かれ、麹町となりました。通りの南側は谷地でしたが、寛永(かんえい)のころ(1624年~1644年)、四谷堀(よつやぼり)を掘ったときに出た土を使って埋め立てられ、町が整備されていきました。
この界隈(かいわい)が麹町と名付けられた由来については諸説あります。町内に「小路(こうじ)」が多かったためとも、米や麦、大豆などの穀物を発酵させた「麹(こうじ)」をつくる家があったためとも、また武蔵国府(むさしこくふ)(現・府中市)へと向かう「国府路(こうじ)」があったからともいわれています。
ここには慶長(けいちょう)のころ(1596年~1615年)、十五軒ほどの遊廓(ゆうかく)がありましたが、元和(げんな)三年(1617年)にほかの地域の遊廓とともに日本橋葺屋町(ふきやちょう)へ移転して、吉原(よしわら)(新吉原と区別して元(もと)吉原と呼ぶ)となりました。
町屋の北側は寺院、南側は武家屋敷で、安政(あんせい)三年(1856年)には、この絵図にも見られるように、栖岸院(せいがんいん)や志摩鳥羽(しまとば)藩稲垣家上屋敷(かみやしき)などがありました。
ほかにも、講談で名高い盗賊鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)が、江戸時代後期に町内にあった質屋の蔵に盗みに入ったという話も、町に伝わっています。
明治時代には通り沿いは商店街となり、町の南側には麹町警察署や消防第三分署などが置かれていました。

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