更新日:2014年11月11日

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町名由来板:六番町(ろくばんちょう)

地図

  • 設置年月日:平成16年5月28日
  • 所在地:六番町14番地

町名由来板

江戸城に入った徳川家康は、城の西側の守りを固めるために、この一帯に「大番組(おおばんぐみ)」と呼ばれる旗本(はたもと)たちを住まわせました。ここから、「番町(ばんちょう)」という地名が生まれました。
現在の番町小学校が建っている場所には、かつて定火消(じょうびけし)(消防)の役屋敷(やくやしき)があり、のちに上野小幡(こうずけおばた)藩上屋敷(かみやしき)となりました。四谷御門(よつやごもん)寄りの広い敷地には、尾張(おわり)藩付家老(つけがろう)成瀬隼人正(なるせはやとのかみ)の上屋敷がありました。明治以降は、下六番町(しもろくばんちょう)という町名になり、昭和十三年(1938年)から現在の六番町になりました。
明治から大正・昭和にかけては、数多くの文化人や高級官僚の住宅地として発展しました。「破戒(はかい)」「夜明け前」の島崎藤村(しまざきとうそん)、「婦系図(おんなけいず)」「天守物語(てんしゅものがたり)」の泉鏡花(いずみきょうか)、アララギ派の歌人島木赤彦(しまきあかひこ)、「或る女(あるおんな)」の有島武郎(ありしまたけお)、「三田文学」で活躍した水上瀧太郎(みなかみたきたろう)、「父帰る」の菊池寛(きくちかん)、「多情仏心(たじょうぶっしん)」の里見とん(注意1)(さとみとん)、「百鬼園随筆(ひゃっきえんずいひつ)」の内田百間(注意2)(うちだひゃっけん)など、多くの作家たちが居を構えました。また、印象派を紹介した画家で作家でもあった有島生馬(ありしまいくま)、エコール・ド・パリで活躍した画家の藤田嗣治(ふじたつぐはる)、歌舞伎俳優の初世中村吉右衛門(なかむらきちえもん)、初世市川猿翁(いちかわえんおう)、二世中村又五郎(なかむらまたごろう)、三世市川猿之助(いちかわえんのすけ)、長唄の吉住慈恭(よしずみじきょう)などの芸術家も六番町の住人でした。
かつては日本の近代的女性を育んだ(はぐくんだ)明治女学校、日本の歌壇の中心的存在であったアララギ出版所、菊池寛が創立した文藝春秋社もあり、白樺派(しらかばは)の誕生にかかわった有島邸や若い作家たちが集った鏡花邸など、まさに六番町から、日本の近代文学や芸術が開花したといっても過言ではありません。

注意1:「とん」の漢字は、閲覧環境によっては正しく表示されない場合があります。「弓偏に享」という字です。
注意2:「間」の字は、本来は「門構えに日」でなく、「月」が入る字です。

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