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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田和泉町(かんだいずみちょう)

地図

  • 設置年月日:平成15年9月26日
  • 所在地:神田和泉町1番地

町名由来板

江戸時代、この界隈(かいわい)には、伊勢国(いせのくに)津藩(つはん)(現在の三重県津市)藤堂家(とうどうけ)の上屋敷(かみやしき)(藩主が住んだ屋敷)、出羽国(でわのくに)鶴岡藩(つるおかはん)(現在の山形県鶴岡市)酒井家の中屋敷(なかやしき)などがありました。藤堂家が代々、和泉守(いずみのかみ)を名乗ったことから、この町は和泉町(いずみちょう)と呼ばれるようになりました。江戸時代のこの地は武家地であったことから町名をもっていませんでしたが、明治五年(1872年)、神田和泉町の名前が正式に誕生しました。明治維新後、政府は津藩上屋敷跡地に東京医学所(現在の東京大学医学部附属病院の前身)を設立し、さらに明治七年(1874年)になると、酒井家跡に文部省医務局薬場を設置しました。
大正十二年(1923年)九月一日の関東大震災で町は、町民の必死の防火活動によって火災をまぬがれ、世の奇跡として市民の賞賛を受けました。そのためこの神田和泉町を含む一帯は、昭和十四年(1939年)一月に、東京府より「関東大震災協力防火の地」として顕彰され記念碑が建てられました。
しかしながら、昭和二十年(1945年)三月十日未明の東京大空襲で町の全域が焼失してしまいました。戦後の昭和二十三年(1948年)には、現在の三井記念病院の敷地の一部に当時の農林省東京食糧事務所ができ、全国知事会議や食糧需給上の重要な会議が開催されました。現在の和泉公園は、食糧難時代のゆかりの旧跡といってよいでしょう。

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