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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田神保町一丁目(かんだじんぼうちょういっちょうめ)(旧・表猿楽町(おもてさるがくちょう))

地図

  • 設置年月日:平成15年8月28日
  • 所在地:神田神保町一丁目14番地

町名由来板

神田神保町一丁目(かんだじんぼうちょういっちょうめ)北部(偶数番地)のうち、このあたりは、江戸時代には一橋通小川町(ひとつばしどおりおがわまち)と呼ばれ、東側は表猿楽町(おもてさるがくちょう)と呼ばれていました。
「猿楽」とは能楽の古称です。高名な猿楽師であった観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)父子によって芸術性を高めた猿楽は、江戸幕府の「式楽(しきがく)」(儀式に用いる音楽・舞踊)に指定されました。それが、観世(かんぜ)座、宝生(ほうしょう)座、金春(こんぱる)座、金剛(こんごう)座、および喜多(きた)流の「四座一流」です。
このうち観世座は、徳川家康と縁が深かったこともあり、筆頭の地位を得ていました。その家元観世太夫(かんぜだゆう)や一座の人々の屋敷がこの界隈(かいわい)にあったことから、「猿楽町」という町名が生まれたとされています。
明治五年(1872年)、この一帯に猿楽町という町名が付けられました。当時、このほかに猿楽町一丁目~三丁目、裏猿楽町、中猿楽町という町名があり、現在の神田神保町一丁目~二丁目から西神田一丁目~二丁目まで、その趣(おもむき)のある名を冠した町が広がっていたのです。
明治四十四年(1911年)、猿楽町はいったん表猿楽町となりましたが、関東大震災後の区画整理の際に、西神田一丁目と神保町一丁目に変わりました。神保町という町名は、江戸時代に神保長治(じんぼうながはる)という旗本(はたもと)が住んだことに由来しています。
また、この区画整理で、町割(まちわり)も変わりました。道路を中心にしてその両側が町域になる、「両側町(りょうがわちょう)」という伝統的な方式が採用されました。そのため、靖国通りをはさんで南に奇数、北に偶数の番地が交互に振られているのです。

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