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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:平河町二丁目(ひらかわちょうにちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年6月10日
  • 所在地:平河町二丁目1番

町名由来板

平河町(ひらかわちょう)の名前は、菅原道真(すがわらみちざね)公を祀った(まつった)平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)が起源であるといわれています。しかし、この界隈(かいわい)が「ヒラカワ」と呼ばれるようになったのは、明治に入ってからのことです。
江戸時代のこの一帯は、旗本(はたもと)の屋敷が立ち並ぶ武家地でした。一方、この界隈には狭いながらも商人や職人が集まる町屋(まちや)も存在していました。古絵図を見てみると、武家地の北側に、湯島亀有町代地(ゆしまかめありちょうだいち)や教授所附町屋敷(きょうじゅしょつきまちやしき)、木挽町四丁目裏上納地替地(こびきちょうよんちょうめうらじょうのうちかえち)など、独特の名をもつ町が見受けられます。
また、現在の平河町二丁目16番あたりは、通称で「三軒家(さんげんや)」と呼ばれていました。町会の資料によると、この呼び名は、両替商伊勢武の田中武兵衛、三河屋酒店の磯貝善兵衛、魚や伊せ彦の永田安次郎の三軒の店から付けられたようです。三軒家をかたどった図柄は、町内の祭礼等に使う手拭(てぬぐ)いなどに印され、町のシンボルとして大切に受け継がれています。
明治二年(1869年)になると麹町平河町(こうじまちひらかわちょう)四丁目が、同五年(1872年)には麹町平河町五丁目と六丁目といった町が誕生し、この一帯の様子も大きく変わりました。旗本たちに代わって財界人や軍人、文化・芸術界の有力者や政治家が集まり住むようになったのです。明治の洋画家の草分けとして、また美術教育者としても活躍した黒田清輝(くろだせいき)や、安田財閥の安田善次郎(やすだぜんじろう)など、各界で指導的な役割を果たした人物も少なくありませんでした。
明治四十四年(1911年)、麹町平河町と呼ばれていた町が平河町と改名されました。そして昭和九年(1934年)、平河町四丁目と五丁目の一部、六丁目が合併し、平河町二丁目が生まれ、現在に至っています。

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