更新日:2014年11月11日

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町名由来板:大和町(やまとちょう)

地図

  • 設置年月日:平成16年02月29日
  • 所在地:岩本町二丁目13番

町名由来板

江戸時代のはじめまで、この界隈(かいわい)は、武家屋敷が立ち並び、通称「元誓願時前(もとせいがんじまえ)」と呼ばれていました。
この地が「大和町(やまとちょう)」と呼ばれるようになったのは、享保(きょうほう)年間(1716年~1736年)のことです。もともと竜閑橋(りゅうかんばし)(現在の内神田二丁目(うちかんだにちょうめ)にあった橋)の北側にあった大和町に住む人々が、ここに代地(だいち)を与えられ移転してきたため、大和町代地となりました。
幕末のころには、この町から隣の東竜閑町(ひがしりゅうかんちょう)にかけて、駄菓子問屋(だがしどんや)が数百軒ほど軒(のき)をつらね、ずいぶん賑わって(にぎわって)いたようです。またここには、蝋燭(ろうそく)やべっこう細工(こうざいく)、箪笥(たんす)などをつくる職人も多く住んでいました。
明治二年(1869年)、大和町代地は、神田元柳原六丁目(かんだもとやなぎはらろくちょうめ)、神田久右衛門町二丁目(かんだきゅうえもんちょうにちょうめ)代地、神田佐久間町四丁目(かんださくまちょうよんちょうめ)代地、横山町三丁目(よこやまちょうさんちょうめ)代地と合併して、神田大和町(かんだやまとちょう)となりました。
明治四十四年(1911年)に町名はいったん大和町と変わりますが、昭和二十二年(1947年)、神田区と麹町(こうじまち)区が合併し千代田区になると、ふたたび神田大和町に戻ります。そして昭和四十年(1965年)、住居表示の実施により周辺の町の一部と合併して岩本町二丁目(いわもとちょうにちょうめ)になりました。

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