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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:東神田三丁目(ひがしかんださんちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年3月9日
  • 所在地:東神田三丁目1番(左衛門橋児童遊園)

町名由来板

南に神田川をのぞむ東神田三丁目(ひがしかんださんちょうめ)は、かつて神田八名川町(かんだやながわちょう)、神田元久右衛門町(かんだもときゅうえもんちょう)、神田餌鳥町(かんだえとりまち)、神田向柳原町一丁目(かんだむこうやなぎはらちょういっちょうめ)に分かれていました。
このうち、八名川町という名は、江戸時代初期の元和(げんな)二年(1616年)、駿府(すんぷ)在城時の徳川家康に奉仕した三河国(みかわのくに)八名川村出身の旗本(はたもと)二十二名が、この地に屋敷を与えられたことから付けられました。隣の神田元久右衛門町は、同じく元和二年、久右衛門という人物が町屋を草創したことに由来するとされています。このあたりは河岸地で、材木商、薪炭(しんたん)商が多く住んでいました。一時、火事で深川(ふかがわ)に移転し、荷揚げに便利なこの地に願い出て戻り、焼け跡を蔵地(くらち)として復興しました。
神田餌鳥町は、鷹狩(たかがり)の鷹の餌(えさ)となる小鳥などを飼う仕事を請け負っていた役人の屋敷が、神田餌鳥屋敷と呼ばれていたことからこの名が付きました。また、神田向柳原町は、神田川南岸の柳原から見て川向こうであることにちなむ名前です。
江戸時代からのこれらの町の名は、明治五年(1872年)に正式な町名となりました。向柳原町は、浅草区へ編入したのちに一部神田区へ戻り、神田向柳原町一丁目となります。
昭和四十二年(1967年)、住居表示の実施により町名が大きく変わることになりました。このとき案として出された「秋葉原」や「秋葉」の名前に満足できなかった町の人たちは、要望書を提出して「神田」の二文字を残すことにしました。こうして江戸時代から続いていた町名は、東神田三丁目という名前に生まれ変わったのです。

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