更新日:2016年8月23日

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町名由来板:四番町(よんばんちょう)

地図

  • 設置年月日:平成16年3月30日
  • 所在地:四番町5番地

町名由来板

江戸城に入った徳川家康は、城の守りを固めるため、この一帯に「大番組(おおばんぐみ)」と呼ばれる旗本(はたもと)たちを住まわせました。ここから「番町(ばんちょう)」という地名が生まれました。
江戸時代のこの界隈(かいわい)は、武家屋敷が立ち並んでいました。安政(あんせい)五年(1858年)の日米修好通商条約で、幕府側の代表のひとりであった井上信濃守清直(しなののかみきよなお)もこの町の住人でした。清直は、初代の外国奉行であり、条約締結に尽力しました。
明治時代になると、中央政庁に近く便利な場所だったために、華族(かぞく)や官吏(かんり)の邸宅地となりました。政治家の島田三郎(しまださぶろう)や、首相を務めた若槻礼次郎(わかつきれいじろう)の邸宅もありました。
また、町内には自由民権運動の指導者であった中江兆民(なかえちょうみん)が主宰(しゅさい)した仏蘭西(ふらんす)学舎(のちに仏学塾と改称)もあり、新時代を担(にな)う若者たちの活気で満ちあふれていました。
歌人の与謝野鉄幹(よさのてっかん)、晶子(あきこ)夫妻も、明治四十四年(1911年)から大正四年(1915年)にかけて、このあたりに住んでいました。鉄幹が発行した雑誌「明星(みょうじょう)」からは、北原白秋(きたはらはくしゅう)や石川啄木(いしかわたくぼく)ら数多くの詩人、歌人が輩出しています。
明治、大正、昭和、激しく揺れ動いた時代を鋭い視点で見つめた人々が、この四番町に集まっていたといえるでしょう。

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