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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田松枝町(かんだまつえだちょう)

地図

  • 設置年月日:平成16年3月22日
  • 所在地:岩本町二丁目5番

町名由来板

この界隈(かいわい)は、昭和四十年代のはじめまで神田松枝町(かんだまつえだちょう)と呼ばれていた。松枝……松が繁っていた土地、というわけではなく、江戸城の大奥にいた「松ヶ枝」という老女中の名に由来する、という説がある。よほど有能な人だったのか、彼女に屋敷地としてこの一帯の土地が与えられ、宝永(ほうえい)二年(1705年)ころから町の呼び名になったという。
旧松枝町あたりを中心にして、江戸のころまで、「お玉(たま)が池(いけ)」という広大な池があったらしい。桜の名所だったことから、当初は「桜ヶ池」と呼ばれ、池畔(ちはん)に茶屋が建っていた。「お玉」というのは、この茶屋にいた看板娘の名前で、「江戸名所図会(えどめいしょずえ)」によると、あるとき「人がらも品形(しなかたち)もおなじさまなる男二人」が彼女に心を通わせ、悩んだお玉は池に身を投じてしまった。亡骸(なきがら)は池の畔(ほとり)に葬られ、そんな伝説から名が付いたという。現在、そのゆかりの「お玉稲荷(いなり)」がマンションの狭間(はざま)にぽつんと残っている。
景勝地・お玉が池の周辺には、江戸の文人や学者が多く暮らしていた。その一人である伊東玄朴(いとうげんぼく)ら蘭方医(らんぽうい)たちが尽力して、安政(あんせい)五年(1858年)、種痘館(しゅとうかん)(のちに幕府直轄(ちょっかつ)の種痘所(しゅとうじょ)となる)を設立する。このお玉が池種痘所が、いまの東大医学部の出発点、なのだという。種痘所跡を記す碑が、町内の交差点と少し南方の加島ビル(一階は反物問屋)の所にある。
周辺をじっくりと散策してみたところ、ほかにも「お玉」の面影を残す“物件”を見つけた。「お玉湯」という銭湯。ビル一階の銭湯だが、湯につかると往時のお玉が池の風景が想い浮かんできそうである。それともう一つ、種痘所跡の石碑の真ん前にあるウナギ料理屋の看板に、「あ玉が池」なるメニューを発見した。入って味わってみたところ、これは「お玉」にひっかけて、ウナギの頭を唐揚げにした珍味。店内には先の「江戸名所図会」に描かれた「お玉が池」の絵が飾られ、その名を付けたミニチュアの池まで設けられている。ちなみにこの店は弘化(こうか)二年(1845年)創業の老舗(しにせ)だが、店を始めた当時、すでにお玉が池は埋めたてられていたそうだ。

泉 麻人

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