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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:鍛冶町二丁目(かじちょうにちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成15年5月3日
  • 所在地:鍛冶町二丁目7番

町名由来板

その名が示すとおり、江戸時代や明治時代、この界隈(かいわい)には金物を扱う流通業者や小売業者が集まっていました。
鍛冶町(かじちょう)の名前のはじまりは江戸時代にさかのぼります。この近辺に幕府御用を勤める鍛冶方棟梁(かじかたとうりょう)だった高井伊織(たかいいおり)が屋敷を拝領し、鍛冶職人などが数多く集まっていたのです。
この二丁目界隈(かいわい)は、金物のなかでも、とくに刀や薙刀(なぎなた)といった打物(うちもの)を扱う業者が多かったのが特徴だったようです。
そのほか、鍛冶町二丁目には鍛冶職人の屋敷だけでなく、江戸後期にはじつにバラエティ豊かな店がそろっていました。文政(ぶんせい)七年(1824年)の「江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)」には、下駄(げた)の鼻緒を扱う問屋や、書物問屋、さらには薬の小売業者までいたことが記されています。「江戸名所図会(えどめいしょずえ)」からは、下駄の製作・販売にたずさわる職人や業者が集まっていた「下駄新道(げたじんみち)」と呼ばれる裏通りがあったこともわかります。
戦後、日本の復興期には、家庭金物店、建築金物店、銅・真鍮(しんちゅう)・鉄販売店などが軒(のき)を並べ、神田駅南口から東神田までの大通りは「神田金物通り」としてにぎわっていました。
昭和二十二年の区画整理で、黒門町(くろもんちょう)、上白壁町(かみしらかべちょう)、下白壁町(しもしらかべちょう)、紺屋町(こんやちょう)、松田町(まつだちょう)、鍋町(なべちょう)、塗師町(ぬしちょう)、新石町(しんこくちょう)、竪大工町(たてだいくちょう)、鍛冶町二丁目が統合され、「神田鍛冶町二丁目」となりました。さらに、昭和四十九年(1974年)に住居表示が施行されると、神田の文字がはぶかれ「鍛冶町二丁目」と名前を変えて現在に至っています。

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