トップページ > 文化・スポーツ > 文化 > 千代田区町名由来板 > 町名由来板:町名から探す > 町名由来板:神田同朋町(かんだどうぼうちょう)

更新日:2014年11月11日

ここから本文です。

町名由来板:神田同朋町(かんだどうぼうちょう)

地図

  • 設置年月日:平成15年9月12日
  • 所在地:外神田二丁目14番

町名由来板

この界隈(かいわい)は、かつて同朋町(どうぼうちょう)と呼ばれていました。同朋町の範囲は、現在の町名では外神田二丁目(そとかんだにちょうめ)10~15番地と、蔵前橋(くらまえばし)通りをはさんで外神田六丁目1、2、3番地のあたりに相当します。
江戸時代の初めごろまで、神田神社にほど近いこの地区は、大きな寺が立ち並ぶ寺社地でした。ところが、「明暦(めいれき)の大火(たいか)(振袖(ふりそで)火事)」(明暦三年・1657年)によって、神田一帯は焼け野原になってしまいます。翌年、幕府は本格的な江戸の再開発に乗り出しました。その際、神田神社の裏門周辺は、御坊主衆(おぼうずしゅう)の屋敷地に指定されたのです。さらに寛文(かんぶん)十年(1670年)には、町内に商人や職人が住む町屋(まちや)も生まれています。
御坊主衆とは、江戸城内で将軍や大名など、身分の高い武士につかえた法体姿(ほったいすがた)の案内世話役のことで、同朋衆(どうぼうしゅう)とも呼ばれました。彼らのおもな仕事は、江戸城内の案内や茶、弁当の手配などでした。将軍が外出する際は、長刀(なぎなた)をもって従ったそうです。四人の上役を同朋頭(どうぼうかしら)(200石高)といい、この四人だけが将軍や老中(ろうじゅう)、若年寄(わかどしより)の用事を担当し、それ以外の御坊主衆は大名たちの用事を務めたとされています。
また、「南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)」で有名な曲亭馬琴(きょくていばきん)(滝沢馬琴)は、文政(ぶんせい)七年(1824年)、九段中坂からこの同朋町に移り、天保(てんぽう)七年(1836年)までこの町の住人でした。

お問い合わせ

地域振興部コミュニティ総務課コミュニティ係

〒102-8688 東京都千代田区九段南1-2-1

電話番号:03-5211-4180

ファクス:03-3264-7989

メールアドレス:komisoumu@city.chiyoda.lg.jp

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?