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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:麹町四丁目(こうじまちよんちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年7月29日
  • 所在地:麹町四丁目1番地

町名由来板

この界隈(かいわい)が麹町(こうじまち)と名付けられた由来については諸説あります。町内に「小路(こうじ)」が多かったためとも、米や麦、大豆などの穀物を発酵させた「麹(こうじ)」をつくる家があったためとも、また武蔵国府(むさしこくふ)(現・府中市)へと向かう「国府路(こうじ)」があったからともいわれています。実際に近所では、地下に数ヶ所の麹室(こうじむろ)も見つかっています。
現在の麹町大通り(新宿通り)沿いに町屋がつくられたのは、徳川家康の江戸入府後のことです。通りの南側は谷地(たにち)でしたが、寛永(かんえい)のころ(1624年~1644年)、四谷堀(よつやぼり)を掘ったときに出た土を使って埋め立てられたともいわれています。町屋の北側は寺や火除地(ひよけち)(火事の延焼を防ぐ空き地)に、南側は旗本(はたもと)が多く集まる武家屋敷になりました。安政(あんせい)三年(1856年)の絵図には、出雲松江(いずもまつえ)藩松平家の上屋敷などが見られます。
一方このあたりは、うなぎの蒲焼(かばやき)伊勢屋(いせや)や丹波屋(たんばや)、江戸切絵図(きりえず)の版元として名高い尾張屋(おわりや)、麹町で一、二を争う呉服商の伊勢八(いせはち)、尾張藩御用達(ごようたし)をつとめる菓子店の亀沢(かめざわ)などが店を構え、江戸の高級商店街のひとつでした。また、赤穂浪士(あこうろうし)が吉良(きら)邸討入り(うちいり)前に名前を変えて隠れ住んでいた家もあったと伝えられています。
町内には井戸がたくさんあったようで、大正十二年(1923年)の関東大震災のときには、断水した多くの家庭を救いました。
明治・大正期になっても引き続き商店街として発展してきた麹町四丁目ですが、現在はビルの立ち並ぶビジネス街へと変わっています。

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