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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:九段三丁目(くだんさんちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成15年9月5日
  • 所在地:九段南三丁目9番

町名由来板

江戸時代のはじめ、この界隈(かいわい)は番町(ばんちょう)と呼ばれていました。江戸城を守る大番組(おおばんぐみ)の旗本(はたもと)たちの屋敷が、城の西側一帯にあったことがその由来とされています。東西、南北に走る道筋に「~番町通」と付けられ、屋敷の場所が分かるようになっていました。番町は、一番町から六番町まであり、現在の靖国通りのこの道筋は「三番町通(さんばんちょうどおり)」といわれていました。
安政(あんせい)年間(1854年~1860年)に書かれた古文書をひもとくと、このあたりの住人として、六千石を拝領していた高井但馬守(たかいたじまのかみ)や五千五百余石を拝領していた坪内伊豆守(つぼうちいずのかみ)などの名が記されています。それらの屋敷は、明治維新後、華族や官吏たちの邸宅として利用されました。
明治二年(1869年)、正式な町名として「三番町」が生まれました。当時の三番町は、現在の九段三丁目(くだんさんちょうめ)と九段四丁目(くだんよんちょうめ)の二町会にまたがる町でした。あまりに広すぎたためか、三丁目は上三番町(かみさんばんちょう)、四丁目は下三番町(しもさんばんちょう)と俗称され、上三番町は料亭など、下三番町は仕出屋(しだしや)などが集まってともに発展していきました。関東大震災の復興期、上三番町といわれていた部分に、富士見町三丁目(ふじみちょうさんちょうめ)と四番町(よんばんちょう)の一部をあわせて、「九段三丁目」が誕生しました。
町内には、明治二年(1869年)、東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)ができ、明治十二年(1879年)に、靖国神社と改称されました。現在、同社には戊辰戦争(ぼしんせんそう)以来の戦争などで命を落とした方々が祀られ(まつられ)ています。

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