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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:北乗物町(きたのりものちょう)

地図

  • 設置年月日:平成16年1月10日
  • 所在地:神田東紺屋町31番地

町名由来板

北乗物町は、明治二年(1869年)、元乗物町代地(もとのりものちょうだいち)、兵庫屋敷代地(ひょうごやしき)、神田紺屋町二丁目横町代地(かんだこんやちょうにちょうめよこちょう)が合併して成立したときに、この町名が付けられました。この町は鍛冶町一丁目(かじちょういっちょうめ)の中央を東西に走る道筋の北側にできた片側町でした。
「乗物」という名の由来は、諸説いろいろあります。駕籠(かご)をつくる職人が多く住んでいたという説のほかに、祭りが盛んで、江戸の二大祭りの山王祭(さんのうまつり)と並び称される神田祭(かんだまつり)の際にかつぐ神輿(みこし)をつくる職人が住んでいた、駕籠をかつぐ人が多く住んでいたという説や、馬具をつくる職人が住んでいたなどで、いずれの説も江戸の庶民の生活に密着した江戸の時代を感じます。
ほかに乗物と付く町は、元乗物町元地(もとのりものちょうもとち)(現・鍛冶町一丁目)、新乗物町(しんのりものちょう)(現・中央区日本橋堀留町(ほりどめちょう))などがありました。
神田(かんだ)駅の東側には、古い町人町(ちょうにんまち)の面影(おもかげ)を残す町名が目につく。鍛冶町(かじちょう)、紺屋町(こんやちょう)、北乗物町(きたのりものちょう)。そしていまは消えたが、塗師町(ぬしちょう)、鍋町(なべちょう)なんていうのも戦前の頃まで、現在の鍛冶町の領域のなかにあったという。地図を眺(なが)めたり、町を歩いたりしているときに、こういった町名表示に出くわすと、往時のにぎやかな職人町の風景が想像されてきて楽しい。
子どもの頃から地図好きだった僕は、千代田区の地図に初めて「北乗物町」の名を発見したとき、電車やバスの工場や車庫がずらりと建ち並んだ“乗物の国”のような世界を思い浮かべた。神田というと、須田町(すだちょう)に交通博物館があるから、そういう連想が働いたのかもしれない。しかし「乗物町」の名は、調べてみると江戸時代に発生したもので、いろいろな説があるようだが、駕籠(かご)職人がこのあたりに住んでいたらしい。
なるほど、中央区の領域にはなるけれど、近いところに小伝馬町(こでんまちょう)、大伝馬町(おおでんまちょう)、馬喰町(ばくろちょう)といった、馬を使った運送業者に由来する町がある。この一帯が古くからの交通の要所だったことが偲(しの)ばれてくる。
ちなみに、北乗物があって「南」はないのか?と思われる方もいるだろうが、南乗物町というのも戦前までは存在していたようだ。
小さな北乗物町の界隈(かいわい)を歩いてみると、さすがにいまは駕籠屋の面影を残すような家はない。車関係のオフィスや工場が目につくこともない。ただし、ビルの狭間(はざま)に小さな町工場がぽつぽつとあって、「北乘物町」と旧字体で綴った(つづった)昔の町名表示板がいまもそのまま張り出されている。
ホーロー引きの古めかしい看板に記された「乘物」の文字に、僕は幼い頃に親しんでいた“ブリキの自動車”の光景を重ね合わせた。

泉 麻人

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